吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2014/06/27◆経験、証明、あるいは実験
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「ワールドカップは経験する場ではない。ワールドカップは証明する場だ」
李榮杓(ワールドカップ・ブラジル大会、韓国0-1ベルギーの試合後の洪明甫監督のインタビューを受けての発言。朝鮮日報日本語版、平成26年6月27日)


さて、ワールドカップが終わったわけだが……なんて書くと、まだ終わっとらんがね(名古屋弁)と返されてしまうのだけど、やはり我が代表の1次リーグ敗退で「終わった」感があるのは否めない。イタリアやイングランドやスペインの皆さんもやはり「終わった」感満載だったりするのだろうか。

イングランドは違うかもしれない。ウルグアイに負けた夜、BBCのダン・ローン氏は「またしても大きな失望です。我が代表はいつも通りでした」と伝えた。「いつも通り」とは、なんというシニカル。『あの』リネカー氏====ThisIsTheErrorMessege====は、翌日に行われるイタリアvsコスタリカのためにアッズーリのポロシャツを着て「君はイタリアを応援するためになにをするんだい?」====ThisIsTheErrorMessege====とまでTwitterに書き込んだ。もし、ぼくが英語を使いこなせたら「素晴らしい!貴兄のそのような行動をするサッカーファンを日本では『ダサンダー』と呼ぶんです」とコメントつけてしまうところだったが、コスタリカがイタリアに勝ってイングランドのワールドカップも終わった。そのイタリアも第3戦でウルグアイに敗れてワールドカップが終わった。
しかし、なによりの衝撃はオランダ 5-1 スペインだろう。大艦巨砲主義時代の艦隊に機動部隊が襲い掛かるかのごとくに殲滅を繰り返す姿は、1つの時代が終わったことを伝えていた。

まあ、イタリアやイングランドやスペインや、このクラスが1次リーグでお帰りになっちゃうんだから日本や韓国の1つや2つ……なーんてね(笑)。で、「日本は一度ワールドカップ出場を逃してリセットした方がいい」みたいな意見もちらほらと。でもね、おそらくだけどそういう意見が出てくるひとは今回の日本代表の敗退で「終わった」感がない、あるいはあってもかなり薄いひとなんじゃないかなー、なんて思ってます。ご自身は日本代表が出ていなくてもワールドカップを愉しめるのだろうから。ぼくもそれなりに愉しめるとは思うのだけど、それでもこーんなに国中まとまってドギマギ出来るイベントを外ウマ的に眺めてるだけなんていうのは考えられない。


これからノックアウトラウンドが始まって大会も盛り上がるのだけど、ここでは今回の日本代表について思ったことを。当たり前ですが「感想には個人差があります」とは強調しておきます(笑)。

現地でべったり取材している宇都宮徹壱さんがTwitterで「今回の日本代表はあまりに『軽装備』だったと言わざるを得ない」と書いていて、この『軽装備』という表現にはかなり納得出来る。のだけれど。
ずーっと気になってたのが、キャプテン長谷部をはじめ複数の選手が口にしていた「自分達のサッカー」という形容。もしかしたら、協会とザック・ジャパンは4年かけて遠大な実験をやっていたのかもしれない。「自分達のやりたいスタイルのサッカーで、世界でどこまで戦えるのか」という“実験”。だとしたら、あくまでそのスタイルを貫かないと“実験”にならないから、『軽装備』も想定内だよね。

で、出た結果が『アジア以上、世界未満』。
それも、かなりの『世界未満』。

この“実験”結果をどう見るか、だよね。「このスタイルが『アジア以上』以上なのはわかった。だったら『世界未満』の部分を『世界標準』にまで高めていけばいい」という風になれば、この路線を継続することになる。でも、すぐ上に書いたけどその『世界未満』はかなりの『未満』ぶりだ。果たしてあと4年で『世界標準』にまで持っていけるのか。「『世界未満』を『世界標準』に持っていく作業に着手しています。日本の皆さん、あと8年待ってください。ロシア・ワールドカップではさらに近づくでしょう。カタールの頃には完成しているかもしれません」が、いまの日本で通るのか。

ぼくは、南アフリカ大会での「守備的」な日本代表が悪いとはこれっぽっちも思ってない。だって、ワールドカップは結果がすべてだもん。ここまで書いて「もし4年前に正反対のこと書いてたらどうしよう」と心配になって4年前の雑文を読み返したんだけど、同じこと書いてた。====ThisIsTheErrorMessege====よかったー(笑)。
4年前は直前に「スタイルを変えて」成功といえる結果を出した。今回は「スタイルを変えないで」失敗といえる結果を出した。

ちょっと待って!


キーワードはここなんだろうな。

「今回のワールドカップは『失敗』だったのか?」

そりゃ『失敗』でしょう。でも、4年間の“実験”の最終段階と考えたら実は『成功』だったんじゃないか。「これじゃダメだ」という『結果』がキチンと出たからね。
これを受けて、どうするか。おそらく来年アタマのアジアカップはこの路線で行くだろう。そう簡単にスタイルは変えられないし、なにより『アジア以上』なのはわかっているのだから。問題は、ロシア・ワールドカップのアジア予選まで順調に過ぎたとして、その先。
ぼくは、バリエーションを持たせるべきだと思うんだ。ワールドカップを「世界で戦って結果を出す場」と定義してほしい。イメージしているのは、2012年のノルブリッツ北海道。あの年の地域決勝====ThisIsTheErrorMessege====JFL入替戦====ThisIsTheErrorMessege====ノルブリッツを初めて見た方はあまりの守備的戦術に驚いたんじゃないかと思うのだけど、彼らは北海道リーグでは無双だった。====ThisIsTheErrorMessege====その環境の中で、キチンと『全国モード』の戦い方を用意していた。「ノルブリと代表を一緒にするな!」とお思いでしょうか。ぼくは、置かれた状況そのものはそんなに違わないと思うんだけど。

「そうじゃない!俺は日本代表が『自分達のサッカー』で世界で勝つところが見たいんだ!」という方が多いだろうというのは十分に予想できる。ぼくのまわりの、普段からサッカーを観ている人達にもそういう意見のひとは少なくない。そういうひとはザックを批判したり罵倒したりしちゃいけないんじゃないか、と思う。だって、この4年間は“実験”だったんだもん、成果なんて出なくて当たり前。やがて、研究室レベルでは成果が出せるようになって、実用化のための改良を加えていって、

「さあ皆さん、我らが日本代表の『自分達のサッカー』が完成しました!」

“研究開発”って、そういうプロセスなんじゃないか。もし4年後のロシア大会でまた結果が出なくても、『自分達のサッカー』の完成に近づいているなら、文句言っちゃダメ。


繰り返すけど、ぼくの意見は違うから。ワールドカップはあくまで「戦いの場」であってほしい。結果がすべて。“実験”はこの4年でいいよ。

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