吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2018/03/13◆ここまで来たこと、これからも先へ行くこと
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7年前に書いたことを、もう一度。

ぼくは午後年休をもらって電車で浜松に向かっていて、高塚の手前で非常制動で電車が停まった。かろうじて一瞬だけつながったウェザーニュースで仙台で震度7を知った。浜松にある静岡県協会の支部で、津波が仙台空港を洗い流していくところをテレビで視ていた。浜松駅に行くと、弁天島に大津波警報が出ていて====ThisIsTheErrorMessege====新幹線も在来線も止まっていた。ようやく動き出した電車で岐阜に戻った。
後日、コバルトーレの選手は全員が無事だったこと、その年は活動を休止すること、「来年は必ず戻ってくる」という力強い宣言を知った。

6年前に女川に行ったときのこと。

近日中に解体が予定されている女川運動公園陸上競技場で、東北2部南・コバルトーレ女川vs松島マリソルを観た。その時の訪問・観戦記はここ====ThisIsTheErrorMessege====を読んでください。
とにかく、まったく視たことのない、いまから思えばそれは『まどマギ』の「ワルプルギスの夜」との戦いの傷跡が色濃く残った街ような、そんな景色のすぐ隣に、生きのびた町のひとびとがいて、生きていくために精一杯のことをしている。そして、その「生きていくためにすること」の中に『コバルトーレのサッカー』が入っていた。ぼくにはそう思えた。

4年前に女川に行ったときのこと。

もう一度、女川に行った。その時の訪問・観戦記はここ====ThisIsTheErrorMessege====を読んでください。奥に出来た野球場兼用の人工芝ピッチで東北1部のコバルトーレ女川vsラインメール青森を観た。観客も、とてもとても少なかった。まだ3月で、東北の冷たく強い雨は堪えた。ぼくは後半途中で離脱して帰路に就いた。

どこをどう思い出しても、4年後にこのチームがJFLに行くなんて、どこからもカオリはしてなかったよ。いまではいつの手垢かもわからなくなった「夢は実現します。」というコピー====ThisIsTheErrorMessege====も、あながち否定されるものではない。まあ、JFLに上がるカオリはラインメールからもしなかった====ThisIsTheErrorMessege====のだが(苦笑)。

そして都田へ。

第20回・新JFL開幕戦。HondaFCvsコバルトーレ女川。被災の日、3月11日。ありえないくらいの舞台の整い方だ。行くしかない。静岡県に行くのに『さわ』る====ThisIsTheErrorMessege====のを回避するという屈辱だが、この日はやむを得まい。7年後の同じ日に、同じように在来線で浜松へ。時間1本の都田方面のバスに乗って北へ向かう。

でかるちゃあああああああああああああ。試合開始2時間前で、メディアの取材申請が18社とか。間違いなく、一般紙や普通の地上波テレビもいただろう。旧知のホンダサポに拠れば、報道関係者用ビブスが足りなくなったそうだし、試合進行に関しての制限ラインの説明とかも取材側がサッカー場でのお作法をあまりわかっていないようで大変だったらしい。女川サポのダンマク張りにも群がって、それはもう「見ろ、メディアがアリのようだ」としか(苦笑)。

おそらくだけど、この日の結果がどうなろうと、すべて主語は女川で語られることだろう。クリーンシート+大量失点で粉砕されたら「女川にJFLの壁」。1点でも挙げれば「女川、復興の火を点す1点」。ドローで終えれば「女川、全国デビューで価値あるドロー」。勝利の場合はさもありなん。
うん、こうなると基本的に天邪鬼な鋳造はホンダにはきっちりと王者の貫禄で3-0とかで完勝してほしいと思うようになる。件の古株ホンダサポは「最近、めっきり初モノに弱くなった」と言っていたけれど、そもそもそのくらいの実力差はあるはずなのだ。そんな中で、女川は地域決勝通過の鍵となった「適応力」を王者・ホンダ相手にも示せるのか。試合の興味はそこにあった。
試合前に前年度のチャンピオンフラッグの贈呈。そして、「ホンダFC、前人未到のJFL3連覇に向けて」と力強いアナウンス。あ、やったことなかったんだ。====ThisIsTheErrorMessege====そしてそして、1分間の黙祷。

JFL
Honda 2-1 女川

女川はホンダ相手に通じた部分も多かった。もちろん、まったく通じない部分だってどっさりあった。3人で囲みに行ってもサラリと交わされてサイドに出されてしまうキープ力、展開力。クルマで喩えるのは苦手だけれど、リッターカーの女川とスポーツカーのホンダが首都高バトルするような感じだった。いつかは、無理してまわしたリッターカーのエンジンがおかしくなる。
ホンダの先制点は早く綺麗なパスワークでゴール正面を綺麗にフリーにした。女川DFは全員がボールを見ていたそうな。後半開始早々には縦ポンに抜け出した大町が女川DFにフィジカルでしっかり競り勝って倒れながら流し込む。2-0。これは、リッターカーでは追いつけない。女川は折れてもおかしくなかった。
しかし、FKが直接入って1点を返してからは展開はほぼ互角に。「ほぼ」というのは、それでもホンダが押している状況に変わらなかったから。しかし、女川はそのプレッシャーにしっかりと応えた。王者・ホンダとの差を開かれることなく、リッターカーでスポーツカーに90分喰らいついたのだ。スタミナ的にも、気持ち的にも。

思ったんだけど、やっていた女川の選手達は喜びに気持ちが震えていたんじゃないだろうか。「これだ……これが全国リーグだ……俺たち、毎週このレベルの連中と試合が出来るんだ!」という風に。まあ、実際のところJFLはホンダレベルのチームが揃っているわけじゃないのだけど(苦笑)。

「復興」とはなにか、ということについて

コバルトーレの社長である石巻日日新聞の近江氏は「これまでも、ずっと、コバルトーレは女川復興のシンボルでした」というようなことを話したそうだ。それは、ぼくが6年前の女川陸上で感じたことと違っていた。でも、それは復興という単語が意味するものの違いではないか、という気がする。

先にも書いたけれど、6年前の女川陸上には復興というカオリはしなかった。そこにあったのは、「まずはその目の前を生きていくこと」。復興というステップの前段階。その「前段階」にサッカーが組み入れられていることが嬉しかった。
やがて時は過ぎ、女川には鉄道も戻り、経済もある程度は戻ってきた(のだろう)。ようやく「復興」に着手出来る。コバルトーレの全国への挑戦が始まったのは、その頃。これがぼくの認識。でも、当事者である近江社長にとっては、ぼくが女川陸上で観戦した6年前、コバルトーレが活動を再開した時期がすでに「復興」だったのだろう。6年前のぼくの感じ方が間違っているとも思わないし、もちろん近江社長が間違っているとも思わない。認識は情報処理の一つの結果に過ぎない。

もう一つ、近江社長が言いたかったことは「まだまだ、復興の途なかばですよ」ということだったのだろうな、と思う。ぼくが最後に女川を訪れて4年が過ぎた。石巻のサッカー場を訪れたのも9年前だ。そろそろ、もう一度女川に行ってみようかしら。


翌日。予想通り、やっぱりメディアは女川が主語だった(苦笑)。そりゃわかるけどさ、なんだかなあ……という気がして、静岡新聞あたりが「ホンダ、新参・女川を一“蹴”」くらい書いてくれんだろか……なんて呟いたら、なんと高政かまぼこさんから「いいね!」されてしまってちょっとびっくり(笑)。でも、それが「コバルトーレをあんまり美談で飾ってくれるなよ、サッカーの話をしよう、こっちはピカピカの1年生だ」という意味だったら、嬉しい。コバルトーレは7年かけて、ここまで来た。そして、これから先があるのだ。

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