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travelnotes : domestic
東北L2南@女川
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昨年発行された『徹マガ』震災復興号に書いた「もしコバルトーレ女川が活動再開したら観に行く」という話。「1年後には必ず復活させる」とのクラブスタッフの宣言通り、震災1年後にコバルトーレは帰って来た。公開されたリーグ日程によると、女川のホーム戦は前半にほぼカタめられている。これは、後期からは女川の会場が使えなくなるということを意味する。行くなら、早いうちしかない。というわけで、GW前半を使って女川に向かうことにした。

何故かわからないけど、4/28の夜は仙台のホテルがどこも満室で、西塩釜駅近くのホテルしか確保出来なかった。この観戦には毎度おなじみ“無料試合のS”君も同行することになったのだけど、彼も同じホテルしか確保出来なかったそうな。4月28日の勤務を終えて、新幹線を乗り継いで仙台へ。仙石線で西塩釜へ。S君も偶然に同じ電車。チェックインを終えたら日が変わっていた。とりあえず寝て終わり。

2012年4月29日

早起き出来たら瑞巌寺に訪れる予定だったけど、鮮やかに失敗(苦笑)。ホテルでゆっくり朝飯を喰って、S君と仙石線で松島海岸へ。仙石線の災害運休区間は高城町=陸前小野だけど、代行バスは松島海岸=矢本で運転されている。思っていたよりも少ない乗客で発車した。現在、仙台〜石巻の移動で仙石線代行バス経由というのは現実的ではない。====ThisIsTheErrorMessege====
松島付近は商店街も住宅も津波の被害もあまり目立たない。もちろん、まったく来なかったとは考えられないが、おそらくこれは松島の島並が守ってくれたのだろう。
“景色”が変わったのは東名から。泥をかぶったクルマ、曲がって倒れた街路灯、すべてがそのまま。コンクリ製の仙石線の架線柱も線路とは関係ない向きに建っている。このあたりは直撃だったのだ。ぼくもS君も、松島のあたりでは話もしていたのだけどこのあたりでは黙ったまま。矢本が近づくと街並もだいぶ戻ってきて。

矢本〜石巻はディーゼルカーなんだね。石巻で30分近く待ち時間があったので、駅前の元デパートに行ったら、ラッキー!『高政』====ThisIsTheErrorMessege====のお店がもう開いていた。自宅用とか職場用とか、土産になるものを片っ端から注文して岐阜まで冷蔵便で送ってもらう。この時間なら、明日の夜には届くだろうから明後日に職場に持っていける。
石巻は、石ノ森章太郎の街としての仕掛けが多い。JR駅前にはアルヌールちゃん====ThisIsTheErrorMessege====の像があるのは知っていた。けど、まさか交番にまでKさん====ThisIsTheErrorMessege====がいらっしゃるとは。いやいや、よく出来ています。

再び列車で東へ。石巻線は渡波====ThisIsTheErrorMessege====までは開通している。ここから女川までは再び代行バスだ。右側には静かな入江、万石浦====ThisIsTheErrorMessege====が広がる。その一番奥に女川町の浦宿地区がある。『高政』の拠点はここ。バスの窓からの景色では、津波の被害もあまりないように思えた。ここから小さな峠を越えて、女川地区へ。


列車代行バスというのは、文字通り「列車の代わりに走らせるもの」だから、『駅』バス停は極力『駅』の近くに用意されるのが普通。しかし、女川『駅』バス停は、今回の目的地・女川運動公園のすぐ横にあるという。その理由は、もちろん。

女川の街は、「なくなっていた」。

峠を越えて、坂を下るバス。この高さまで津波が来たというのが明確に景色でわかる。なぜなら、ある高さから下には建造物が何もないから。坂を下りきって、元は女川の街があったところ、瓦礫はほぼ取り払われ、ただの更地が延々と広がっていて。その中に、横倒しになった4階建てくらいのビル====ThisIsTheErrorMessege====がいくつか。そんな更地を通り抜けて、バスは高台にある運動公園へ向かう。町役場の仮庁舎はこの公園の横にプレハブで建てられ、ここが女川『駅』バス停だった。

試合まで時間があるので、ぼくらは『駅』バス停から下りて旧「市街」に行ってみた。女川『駅』は、かろうじてホームだけはわかる形で残っていたけれど、レールも駅舎も何もかもがなかった。旧・役場の建物は3階建の屋上の手すりにも津波の痕跡と思われる瓦礫が引っかかっていた。更地になった旧「市街」の奥に、手付かずの瓦礫が10mくらいの高さに積み上げられている。
高台にある町立病院に行ってみた。街灯はすべてへし折られているけど、折れる向きが違う。津波で折れた街灯と引き波で折れた街灯があるのだ。病院の駐車場まで上がると、旧「市街」を見下ろすことが出来た。バスの中から気づいた、横倒しにされたビルもここから見える。地元の方々は、ここまで必死に駆け上がって避難して自分の暮らす『街』が壊されていくのを視ていたのだろうか。すると、病院にトイレを借りに行ったS君が呼ぶので行ってみた。病院入口の柱の、下から2mくらいのところに線が引いてあって、「津波到達高」とある。

ちょっと待って、
ここより2m上まで津波は来たの?!ここにいても助からなかったのか?

ぼくは何も考えられなくなった。考えても、その状況が想像出来ないのだ。

現在では病院も機能が回復している。1階の食堂が“復興食堂”として営業していたので、S君とぼくで昼飯にした。一番高いメニューにするっ!との決意で味噌ラーメンとカレーのセットにしたら、結構な量があってキツかった(笑)。しっかり腹が膨れたところで運動公園に戻ることに。

入口でコバルトーレ・グッズを売っていたので、セカサポの友人向けにタオマフを、他にステッカーを数枚。ぼくは自分用にTシャツとタオマフを買った。さて、今年から岐阜セカからコバルトーレに移籍したヨコ====ThisIsTheErrorMessege====は……いたいた。手が空いたところで声をかけた。「岐阜から来ました」と言うと、「マジで?マジで?わざわざですか?」と驚いて喜んでくれた。試合前なのでちょっとだけ話をして握手をして別れ、ぼくらはスタンドへ。ピッチには“ケロロ軍曹”の着ぐるみ隊が来ていて子ども達と記念撮影をしていた。
で、試合開始前のヨコはというと、こんな感じ(笑)。あのさあ(笑)。さっそく若い選手にいじられてて、もうすっかり溶け込んでいる雰囲気だ。いいじゃないのさ。リラックスした感じで、試合開始。


試合。コバルトーレ女川×マリソル松島。うーむ間違いなくこれは松島ペースだ。右2列目で攻撃を期待されてるっぽい滝澤====ThisIsTheErrorMessege====がボールに触りたがるのか下がってきてしまい、前線で攻撃のポイントが作れない。やりたいサッカーが具現化出来てるのは松島の方だ。左サイドの5番と15番のコンビが強力で、何度もチャンスを作る。左CBを張るヨコもちょっと大変そう。そんな中、ペナエリアの中でハンドがあったようで松島にPKが与えられる。女川の選手が「俺?俺なの?」とアピールしているが、ヨコじゃん(爆笑)。きっちり決められて松島が先制し、前半終了。松島がこの動きを90分出来たら女川は結構厳しいような……。

しかし、後半の早いうちに混戦から14番が蹴りこんで女川が同点に。そして、だんだん松島の中盤が動けなくなってきたところで、女川は左2列目に10番を投入した。ぼくとS君の共通見解として、この試合のMoMはこの10番。彼が積極的に自分でどんどん仕掛けていくので、疲れが出て来た松島守備陣には厄介な存在に。そして、右2列目だった滝澤が中盤の底に下がったことで捌きも出来てボールも両サイドに動くようになり、右サイドにも起点が出来た。この試合を観る限りでは滝澤は触って捌いてというタイプに思えるので、サイドの仕掛け役よりレジスタが向いているような気がする。
PKをゲットして女川が勝ち越すと、ほぼ動けなくなった松島相手に女川が“タコ殴り”を仕掛ける展開になり、左サイドから綺麗にシュートを叩き込んで勝負あり。最後は、引退とも伝えられていた檜垣====ThisIsTheErrorMessege====も試合に出場。3−1で女川が勝利した。

石巻まで戻るバスまで時間があるので、クールダウンを終えたヨコにもう一度挨拶することに。「おめでとうございます」と声をかけると、開口一番「危なかったぁ〜っ!思いっきり(手に)当たってたもんな」って、ちょっとあなた(笑)。とにかく元気にやってるみたいでよかった。ボールを片付けて撤収に走る彼を見送って、スタンドを見上げると取材に応える背広姿の方が。この時は『高政』の関係者かと思ったのだけど、どうやら女川の町長さんだったみたい。
この時にちょっと聞こえてきた話とか、この試合を観たぼくの手ごたえからの判断になるけど、コバルトーレを“女川復興”のアイコンとして使うつもりはないみたい。もちろん、それでいいと思う。一部が立ち入り禁止だったメインスタンドに集まった地元の観客が満足げに帰っていく。あくまでコバルトーレは「女川」という小さな街の社会人のサッカークラブだ。


この女川運動公園、取り壊されて住宅用地になるのだとか。たしかに、いま、女川の街のひとが求めているものはそれだろう。さて、これからコバルトーレはどこで試合をするのか。いまのところ、ぼくはそれを知らない。
そしてもう一つ気がかりなのが、女川という街の、今後。おそらくだけど、震災からのこの1年は、街の人たちは文字通り必死に「どう生きていくか」という状況と向き合っていたのではないだろうか。1年が過ぎ、これからは瓦礫の処理も含めて「女川の街をどう作り直していくか」というフェーズに入っていくはずで、早くそのビジョンを固めないと気持ちが続かなくなって街を離れるひとが少しずつ増えてしまうのではないだろうか……と余所者が申し訳ないけどちょっと心配になる。その意味でも、石巻線の復旧が待たれる。全線開通はしばらく無理でも、浦宿までは早く開通してほしい。====ThisIsTheErrorMessege====女川町エリアまで列車が入ってくるようになれば、復興に関するインパクトもかなり違うと思うのだけど。


帰りはあえて宮城交通のバスで石巻まで出た。石巻の市街地も津波でかなりやられている。朝に石巻駅にいた時には気づかなかったのだけど、アルヌールちゃんの足元に掲示があった。この駅までも津波は到達していたのだった。
さて、石巻といえば“石巻焼きそば”。しかし、震災で焼きそば用の麺を用意できる店が激減したらしく、いま提供している店はわずかなのだそうな。その中の一つ、駅近くの『萬里』が営業していたのでS君と訪問。おうおう、結構な量じゃないか。そして、確かに食べ慣れた“焼きそば”とは食感が違う。
宇都宮に帰るS君は小牛田から古川に出て新幹線へ。ぼくは東北線で塩釜へ。ホントは晩飯は塩釜駅近くの回転寿司『塩釜港』を考えていたのだけど、とにかく“石巻焼きそば”の量に負けてしまい回転寿司は断念。とほほほほほほ。このままだとなんか悔しい(苦笑)ので、ホテル近くのコンビニで宮城の地酒を買い込み、『高政』の揚げかまぼこを肴にグビグビと部屋呑みして沈没でした。おしまい。

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