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travelnotes : domestic
もう一度、女川へ。(2)
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2014年3月30日

女川再訪の日。風雨が激しいという話だったけど、仙台はパラパラ降っているだけ。でも、コンビニでビニール傘は買っていこう。ケンシヤ====ThisIsTheErrorMessege====からバスで石巻に向かう。行きかう仙台市営バス、犬とか辰とかニワトリとか====ThisIsTheErrorMessege====が残っててちょっと嬉しい。仙台駅から大勢の乗客があって満席になった。仙台東部道から三陸道に入って、石巻へ。うーむ風が強い。昼飯は前回と同じく女川病院の食堂にする予定なので買い物はナシ。女川までの乗車券====ThisIsTheErrorMessege====を買って、ホームへ。天気が悪いせいかどうか、想像以上に乗客が少なくて。
渡波から浦宿までは昨年に開通した区間になる。満潮時には水没していた沢田駅の改修も終わっていた。浦宿から女川『駅』までは代行バス。ぼくの他に乗客は3人…だったかな。地元の方は1人だけだったかも。

峠を越えて女川の旧市街地に入る。“横倒しビル”の1つはそのまんま。でも、他にもあった“横倒しビル”は撤去されていた。これだけ残す予定なのかもしれない。他にも、いくつかは明確に変わっていた。まさに“山積み”だった瓦礫はすべて撤去されていたこと。金華山航路====ThisIsTheErrorMessege====が復活していたこと。そして、この日のぼくにとって重要な問題として、津波で壊滅になったかつての女川市街地が復興工事のために立ち入り禁止になっていたことだ。代行バスは大まわりをして女川『駅』に到着。高台の、運動公園前。これは2年前と変わらない。そして、このバス停のすぐ前にあった陸上競技場は綺麗に姿を消し、そこには仮設なんて呼べないしっかりした共同住宅群が出来上がっていた。その名も『運動公園住宅』。
2年前は通行できた旧・市街地への道を歩いてみたけど、共同墓地へのルートのみ確保されていて、そこから先は工事中で立入禁止。つまり、運動公園から女川病院の食堂まで行くのは相当に難儀な行程となる。かといって、この住宅近くに店が開いているわけでもない。念のために体育館にいらっしゃった職員さんに食べ物が買える店を訊くと、女川高校近くのコンビニを勧められた。クルマ利用が前提なのだ。これではどうしようもない。昼飯は、カバンの中に残っていたアーモンドチョコ12粒だ(苦笑)。
とにかく風が強く、そして冷たい。試合が行われる人工芝の第二多目的で開催準備をしていたスタッフさんとお話をしたのだけど、「今日は『無観客試合』かもな」なんてダークな冗談も。なにしろ、この会場はスタンドに屋根がないので退避しようがない。試合開始ギリギリまで体育館に避難して。

東北L1
女川 4-2 青森

女川にはおなじみのヨコ====ThisIsTheErrorMessege====、青森にはレモス====ThisIsTheErrorMessege====と岐阜隊OBのいるチーム同士の対戦だけど、はっきり言って観戦環境がそれどころじゃない(苦笑)。ピッチからスタンド側に向かってくる強い強い冷たい雨まじりの風。仙台で買ったビニール傘の骨が開始10分で折れる惨状。試合は点の獲りあいになって、女川3-2青森となった後半の途中で離脱することにした。翌日からの仕事を考えると、ここで無理をするわけにもいかない。
ぼくは2時半の代行バスに乗ったのだけど、その後にPKで1点を加えたコバルトーレの勝利。これで2連勝になるのだけど、強力な補強を仕掛けたガンジュに対抗できるか?は、ちょっとこの日の試合環境では計れないかな。あ、レモスは元気でした。けど、J2でどうこう出来るって感じはしなかったなあ(苦笑)。ヨコはベンチ入りするも出場機会なし。握手出来たからよかったです。

浦宿から列車で石巻に行き、高速バスで仙台へ。鮎川====ThisIsTheErrorMessege====行きのバスが停まっていた。震災の時、ぼくは浜松にいた。岐阜の自宅には夜に戻れた。鮎川の状況がまったく伝わってこなくて怖くなった。学生時代の終わりに、当時はあった宮城交通のフリーきっぷで学生仲間と鯨料理を食べに来たのだ。“ステーキ定食”では肉の味がして、“刺身定食”では魚の味がした。いま、鮎川はどこまで戻っているのだろう。
インターの入口渋滞のおかげで仙台着が20分遅れ、おかげで17時過ぎの昼飯は駅そばの大盛り。でも、それで済ませたおかげで仙台から常滑のニッペリも予約したのより2本早いのに変更出来た。帰宅は22時過ぎだったけど、その時間に戻れればOKです。

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