吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2017/07/05◆「大木サッカーは守備的である」という見方
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福岡戦を終えて、今季の岐阜隊も折り返し。5勝8分8敗。例年に比べて、勝ち数も負け数も例年より少なく、ドロー数が突出して多い。やってるサッカーの見かけの派手さ(←ここ重要)に比べて戦績はかなり地味。では、前半戦の総括……の、その前に。

第20節
岐阜 4-6 千葉

よく、守備が緩いことの表現に「スッカスカ」という形容を用いるが、この試合についてはその形容は当てはまらない。「スッカスカ」に失礼だ。言うなれば「ペラッペラ」。どっちも防御のことなんて1オングストロームも考えていない“張り子”====ThisIsTheErrorMessege====の戦車。両方ともそうなんだから、勝負は火力で決着する。もしかしたら負傷交代だったのかもしれないけど、後半開始からの指宿→ラリベイの交替がポイントだったかな。あれで中央突破でラリベイに預ける→ヘニやんが引っ張られる→セカンド・アタッカーが飛び出しにかかる→阿部ちゃんが置いてかれる→ビクトルと1対1というシーンが何回あったやら。この日の阿部ちゃんは、またホーンビィ氏の表現を借りれば「クルマのヘッドライトにとらえられたウサギ」====ThisIsTheErrorMessege====だった。清武や町田が轢いていってくれるまでその場に凍りつき、それからむやみにのたうちまわる哀れなウサギ。ぼくの周囲には「阿部ちゃんのCBは無理だ」との結論に達した者が多かった。

試合が終わって、「6点は取られたけれど、4点を奪ったことはよかったと思う」との大木監督の発言に、ちょっと吐き気が。「簡単に点を取られ過ぎです」と大事なことなので4回言った====ThisIsTheErrorMessege====のに、今回は簡単に取られたわけではないからいいとでも思っているのかしら。
6点奪われたけれど、ビクトルはほぼノーチャンスだった。試合終了後に彼がグローブとスパイクをスタンドのサポに渡していたのを視て『ちょっと今からサッカークラブやめてくる』だったらどうしよう?と、結構マジメにビクビクしちゃったじゃないか。んもう、ビクトルはんったら、いけずっ(笑)。

さて、ここんとこ大木監督はシシーニョをセンターFWに起用している。それとリンクして、岡山戦・千葉戦と庄司のパス数が激減している。これまでの半分くらいだ。観戦していて感じた、庄司とシシが近いとアンカーの位置から大きくボールが動きにくいという部分が数字にも出ているのかな。だから、庄司とシシを離すというのは悪くない策。ただ、問題はシシにCFの仕事が出来ているか、だ。
シシのCFは、開幕当初のコーヤCFのイメージに近い。ボールを収め、周囲の動きを引き出す。コーヤよりはシュートの意識はあるけれど、CFの仕事である最前線で競って“こぼれ球”を作ることまでは出来ない。ただ、難波とはかなり違うタイプなので、現状の戦力で難波をサブに置いて切り札で使うならシシのトップはあり。ただね、難波を入れる際にシシを交替させるのではなく、シシは中盤の元いたポジションに下がるので、また庄司とのボールが大きく動かない細かなパスつなぎが復活してしまう。シシout/難波inという交替案はあり得ないのかなあ。

第21節
福岡 1-0 岐阜

これまで岐阜隊と対するチームは、だいたい「サイドまでは持たれてもいい繋がれてもいい、そこから中はしっかりブロック。反撃は時間をかけずに」だったと思うのだけど、福岡は違うアプローチで来た。「サイドまでも持たせるな」。おかげで、相手を脅かすパスはほとんど出せなかったと思う。“中盤の底”からのQB的プレーが目立つ最近の庄司は、ついにパスの出しどころを“中盤の底”から“両CBの後方”にまで下げてしまった。「オフサイドラインが庄司」の時間はそんなに短くなかったよ。庄司は愉しいかもしれないけど、相手は守りやすいだろうね。庄司が空けてしまった“中盤の底”をユートや永島が埋め、====ThisIsTheErrorMessege====この2人が空けてしまった攻撃的中盤をシシが埋め、シシが空けてしまったCFを古橋が埋め、古橋が空けてしまった左2列目を福村が埋める。庄司が下がってきた理由が「押し込まれていた」からなら“まだ”いいんだけど、なんか「そこが安全だから」に見えてしまってどうしましょう。
PKになったシーンは阿部ちゃんの手クセの悪さをウェリントンに完全に見切られてカラダを預けられた。その直後にシシが岩下を蹴ったのは、視ている審判がいたらまず間違いなく一発退場だった。シシと岩下はずーっとガチガチやってたっぽいけど、シシは相当イラついてた感じ。このガチガチもあってか、ついにシシ→難波の交替。ぼくにはこれでサッカーがスッキリしたように見えたんだけどね。
まあ、スコアレスドローで終わったら僥倖ですな、という試合だったんで腹が立ったり呆れたりはしなかった。

「大木サッカーは守備的である」とは

さて、今季のこれまでの岐阜を理解するにあたって、千葉戦でのエスナイデル監督の言葉がかなり正鵠を射ていると思う。DAZNを視聴できる方は、見逃し配信で確認してほしい。千葉戦の前半9:27くらいだ。

「岐阜はゴールから遠い場所でのポゼッションが見受けられ、攻撃を頭に入れた自分たちのポゼッションとは違う」。

「あ。」と思ったね。サッカーの玄人や達人はとっくに気づいていることかもしれない。でも、ぼくは勘違いをしていた。「ポゼッション・サッカーは攻撃的だ」という勘違い。

雑誌『フットボール批評』での大木監督インタビューで「失点の多さを改善するには攻撃の時間を長くすればいい」という発言が出てくる。「攻撃の時間を長くする」のは守備を考えてのこと、と読むことも出来る。ぼくは、岐阜にも縁が深い地域リーグの指導者を思い出した。

2010~2012年の北信越リーグで鮮やかなカウンターを武器に存在感を示していたJAPANサッカーカレッジ。その後、岐阜隊を率いることになる辛島啓珠監督だが、このJSC時代は一部の地域リーグ・エンスーから「カウンターのために守備をする」と言われた。つまりは『攻撃的守備』。一方、いまの大木・岐阜のサッカーはその逆。「守備のためにポゼッションを志向する」というスタイル、いわば『守備的攻撃』と考えるとわかりやすいのかもしれない。「バカ言ってんじゃねーよ何が『守備的攻撃』だ、ちゃんと攻撃出来てゴールもたくさん奪えてるだろう」と思う方もいるだろう。けれど、本当にそうだろうか。ポゼッションを攻撃ターンと考えた場合、その時間の長さの割にゴール数は多くないんじゃないか。DAZNを視ていると、解説の方がほぼ口を揃えて指摘されるのが「もっと高い位置でパスまわしが出来たら、岐阜らしさがもっと出てくる」。でも、上にも書いたけれど、そのパスサッカーの中核プレーヤーである庄司のポジションはCBよりも低い。この「守備のためのポゼッション」が今季の岐阜らしさなんじゃないか、と。

つまり、個人的には現状では『大木サッカーは守備的である』と考えるのが一番スッキリするんだな。すぐ上に書いた、「カウンター(攻撃)のために守備をする」辛島サッカーと真逆の「守備のためにポゼッション(攻撃)をする」という発想。別に悪いことではない。サッカーのスタイルに貴賤も善悪もない。「ポゼッション・サッカー=攻撃的」という勘違いがあったからフラストレートしていただけのことで、守備的なポゼッション・サッカーと考えれば相手ペナエリアから先のアイディアが薄くなるのも納得だ。だって、そこから先は今季の大木・岐阜サッカーの範囲外なのだから。ただ、その守備的ポゼッションサッカーのゴールはどこなのか?を考えると、比較的深い“暗澹たる気持ち”にはなる。

今季の岐阜は、結局は毎年と同様に「お願いだから残留してください」というシーズンになりつつある。ただ毎年と違うのは、もしここからハデな連敗を喫して残留争いに巻き込まれても、「監督続投」という選択肢しかないことだ。仮に、シーズン途中で大木監督を解任する事態になったとしても、現在のスペシャルなサッカーを元に戻すには時間がかかる。戻している間にシーズンが終わってしまうのだ。だから、選手が「岐阜のサッカー、どんどん良くなっているよ!」と呟く====ThisIsTheErrorMessege====のを信じるしかない。信じる以外に選択肢がないんだよね。


自宅で二軍や三軍になったHDDデッキの中から残したい映像をサルベージしていたら、かつてJ SPORTSで放送されていた名ドキュメンタリー番組『FOOTBALL ANTI-CLIMAX』====ThisIsTheErrorMessege====の「2005年のJ1/J2入替戦特集」を見つけた。初めて入替戦でJ2側が昇格を決めた====ThisIsTheErrorMessege====この年の甲府を率いていたのが大木監督だ。現在の岐阜においても参考になることが多いかもと思い、見返してみた。柏と甲府の入替戦が舞台だけど、『大木武の視座』というサブタイトルだけあって、大木監督は存分に語っている。番組内で彼の「ポゼッションという言葉は好きじゃない」の言葉に相当激しい眩暈に襲われたんだけど、あれから12年が過ぎて何か変わったのだろうか。たしかに、12年前の甲府はそんなに『ポゼッション』ではなかった、かもしれない。
システムは、12年前の甲府も今年の岐阜も4-1-2-3。でも、「1」にいるのは、甲府は奈須で岐阜は庄司。「3」の真ん中は、甲府はご存知バレー様だ。奈須が中盤の底にいるから守備で「CB2枚でどうにかしろ」とはならないし、決定力のあるバレーがセンターにいることで両翼FWを引き出すことも出来る。「選手が違う」から「甲府で出来たことが岐阜で出来ない」。結構、わかりやすいなと思った。

大木監督はこの番組内で「お客さんに『面白かったな、また来ような』と思ってもらえないのなら、それはプロじゃない」と言っている。たしかに『面白いサッカー』は重要な要素だ。でも、お客さんが「また来ような」と思う重要な要素の一つに『好きなチームが勝つところが視たい』があることは、無視しちゃいけないと思うんだ。一般のお客さんって、そんなに辛抱強くないよ。

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