吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2012/07/24◆『松本山雅劇場』を読んで感じたこと。
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月末まで待ってまとめてみるか……と思ったりもしたのだけど、ネタは新鮮なうちに出した方がいいなということで、勢いで書いてみます。一気に「書きなぐり」で行きますのでよろしく(笑)。


すでに入手されている方はご存知かもしれませんが、「プロローグ」でウチのサイトのこの雑文====ThisIsTheErrorMessege====が引用されています。「おいおい名前が違うって」という小ネタ(笑)はいいとして、22日の日曜に富士に東海2部観戦に行った時に、『のびのび』利用だから時間もあるしと電車内で読むことにして、そうしたら富士に着く前に読了してしまいました。速読に近いスピードでしたけどね。
以下、ぼくの読後感。「感想には個人差があります」ので、この感想文を読んで腹立てるのは構わないけど報復措置とかには出ないでくださいね(苦笑)。気にし過ぎかもしれないけど、なんか最近、直接ではないけど「反対意見は表明すら認めない」ような空気を感じることもあって。


今年の5月にあった小さいけどぼくにとっては結構大きな出来事====ThisIsTheErrorMessege====の影響で、少々“身構えて”本の世界に入ったことをカムアウトします。で、読み終えて拍子抜け。なんだよう、身構えることなんてなかったじゃんかよう(笑)。

twitterには第一印象として「タイトルで得している部分と損している部分がある」という感想を載せたのだけど、こうして感想をまとめている段階では若干異なる。「タイトルで損をしている気がする」。著者の宇都宮氏というより「編集者氏がどういう考えでこういう本にしたのか」は、少々興味がある。

松本サポーター以外の方でも愉しめる、不倶戴天の敵として「松本のマの字も視たくない」と忌み嫌っている方でなければOKな本になっている。というのも、これは松本山雅の本というよりは、松本山雅をダシに使って「2011年を“股旅”した本」になっているからだ。
登場人物は、北はソニー仙台の田端監督から南は那覇『カンプノウ』のマスターまで幅広く、そしてその方々が松本山雅を語るのではなく、自分たちの置かれた状況を語っている。タイトルで損しているなあ……と感じたのは、この点。だって、タイトルは『松本山雅劇場』だよ?松本山雅について書いてある本だって思っちゃうじゃん。


逆の視点だと、コアな松本サポーターにはかなり物足りないんじゃないだろうか。

なぜアルウィンが劇場になったのか。その部分の“掘り下げ”は正直言ってかなり弱い。ぼくはネットで他サポの方の『アルウィンは劇場になった』のではなく『アルウィンを劇場にした』のだという主旨の分析を読んだことがあって大いに納得したのだけど、そういう視点での踏み込みがほとんどないのは残念に感じた。
結局のところ、著者の宇都宮氏が松本山雅の『魔力』を外から眺めることが出来ていないし、かといって『魔力』の中にも身を置いてもいない。かつて、『股旅フットボール』で取り上げられた某地域リーグのサポ氏が同書を「旅行者の目線」とネガティブに言い切っていたのを思い出すのだけど、それが著者の持ち味なのだからしょうがない(笑)。のだけど。

ぼくの知人に伊那谷から松本を応援している方々がいて、一度彼らと呑んだ時に「なぜ松本を応援するのか」と訊いたことがある。松本は都市名であって地域名ではない。つまり、伊那は松本ではない。なのに、なぜ…?の答は揃って「アルウィンだから」だった。アルウィンが愉しい、と。

だから、ぼくはこう思う。『松本山雅劇場』というタイトルにするなら、著者はもっと松本に通って、松本の関係者やゴール裏のサポーターはもちろん、観客としてスタジアムにやってくる「ゴール裏で飛ぶわけではないけどレプユニ着てやってくる年配のお客さん」とか、「山雅クラブ」時代の選手の方とかにも話を伺って、もっと徹底的に、アルウィンに、松本にこだわって『松本礼賛』の本にした方がコンセプトは明確になったのではないだろうか。
そうではなく、あくまでこの本の内容で『松本山雅劇場』というタイトルにするなら、「巻末にまとめて」ではなく各章の先頭部分にその時点でのJFL順位表と松本の直近数試合の戦績とかをデータとして載せるとかすると、読者も読みながら「松本の2011シーズン」に身を置きやすくなっただろう。


そして、もう一つ。故・松田直樹氏に関して。以下敬称略で、ごめんね。

ぼくは松本サポじゃないので“外から目線”になるけど、やっぱり松本のレジェンドは松田直樹じゃなくて柿本倫明だと思う。松田直樹はレジェンドになる前に逝ってしまった。
だから、松田直樹をベースに松本山雅を語るのは結構厳しい。松本での練習中に急性心筋梗塞を発症して急逝したという“悲劇”がクラブにもたらしたものという視点にもなっていないし、最終章に載っている松田直樹のインタビューは松本山雅とは無関係に存在していて、この本の中で完全に浮いている。『松本山雅劇場』という本が生まれるきっかけがこのインタビューだったのは記載されているので理解できるけど、松田直樹のことは「松田直樹の本」として出すべきだったんじゃないか。


というわけで、全体の感想としては「読みやすいけど“残念”な本」ということになってしまう。申し訳ない。その“残念さ”が向かう対象は、著者:宇都宮氏ではなく、この本の編集者氏だ。ああ、なんか、もう少し違う作り方があったような気がするのだけど。

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