吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2004/11/05◆ぼくの“なび杯決勝”。
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10月23日に草津でサッカーを観た話はここ====ThisIsTheErrorMessege====に書いた。実は翌24日も同じ群馬の敷島で試合があった====ThisIsTheErrorMessege====のに観に行かなかったのは、その日は知人の結婚披露宴に呼ばれていたから。事件は、その披露宴開始の約1時間前に起きた。ぼくの携帯を鳴らしたのは、NIFTY時代からの観戦仲間、通称コマちゃん。

「なび杯のチケット、ゲットだぜぇーっ!鋳造さん、来る?」

「えーっ?どうしようかなあ」………なんて応えるわけがないぢゃあないかあ。肉体疲労も経済破綻も知ったことか。コマちゃんが手に入れた自由席のチケは4枚。区分はアウェー側、つまり赤軍サイドだ。ぼく以外の3人はかなり赤いひと達。ぼくだって、真っ赤とは言わないが赤い方だと自分では思っている。しかし、相手がTGだもんなあ……。もし相手が鹿島だったり磐田だったり清水だったりしたら、何も考えずにフランクフルト====ThisIsTheErrorMessege====のユニ着て参戦したことだろう。しかし、相手がTGだもんなあ……。ぼくはコマちゃんに正直に白状した。「すまん、ぼくは“青くなってしまう”かもしれない。青山門にしよう」一緒に観戦の3人も快諾してくれた。感謝です。しかし、コマちゃんは前夜が仕事でだいぶ遅くなるという話。よろしい、ここは朝型人間の吉田鋳造が並ぶことにしよう。どうせ岐阜を朝イチで出ても並ぶのには遅すぎるのだ。前日、職場の同僚はみんな残業してるのに、ぼくは午後7時前の新幹線で東京に行った。

戦略は「勝負は始発電車前」。電車が動き出す前に並ぶこと。その為には国立競技場に歩いていけるところに泊まればいい。そこで選択したのが四谷三丁目だ。鉄道地図しかアタマにないと思い浮かばないかもしれないが、四谷三丁目と信濃町は1kmくらいしか離れていないのだ。投宿したのは午後9時過ぎ。風呂に入って10時には寝ることにした。なにせ普段でもすることがなければ平気で夜9時に寝られる人間だ。


目覚ましは3時50分にかけていた。それなのに、それなのに。それなのに3時半に目覚めてしまうなんて。4時にはもうチェックアウトを終えていた。フロントの兄さん「いまから国立競技場ですか」。わかっていらっしゃる。外に出てびっくり。全然寒くないのだ。凍えることも想定してコートにブランケットに日本酒にと防寒対策を完備してきたのに。青山門前に着いたのは4時15分。最後尾は門から200mくらい離れた地点だった。門の手前から場所取りガムテープが40番まで、そこから100mくらいは人の列。寝袋が横たわっていたり、寝そべって雑誌読んだり。ぼくが並んだすぐ前の兄さんは3時過ぎに並んだそうだ。1時間の間に誰も来なかったということになる。ラッキーだ。
不思議と眠くならないのでMP3プレーヤで音楽を聴きながら夜が明けるのを待っていた。ぼくが並び始めてから5時までの45分間に18人が後ろに並んだ。5時を過ぎると、電車組が続々と集まってくる。しかしどうしたことだ。“赤いひと”しかいないではないか!青山門から入るバックスタンド自由席は中立地帯じゃないのか。
せっかくなので、東京側のゴール裏武装組が並んでいる千駄ヶ谷門の前まで散歩してみた。ゲートの前では数十人の“青いひと”がもう起きて話をしてたりする。しかし、ここ、酒くさっ!そりゃあ呑まないとやってられないだろう。サポやるのもラクじゃないね。
6時半に列の隙間を少しずつ詰める作業が行われる。そう、この時点で青山門の列の最後尾は既にとぐろ状態になっていたのだ。“始発電車前”作戦、大成功。コマちゃんは7時近くにやって来た。名古屋では入手できないピンク紙の新聞====ThisIsTheErrorMessege====を土産にもらう。7時半に本格的に列整理、場所取りガムテープ組も、この時間に集合していなければ問答無用に整理の対象だ。非情だが、それが掟だ。それがルールだ。
8時過ぎに3人目の観戦仲間がやって来て、酒盛り開始。3時半に起きて8時から日本酒ってのは、効くねえ。職場の話とか濃いサッカーの話とかで盛り上がる。コマちゃんはかなり眠そう。4人目の観戦者は、開門してから弁当を買って到着することになっていた。
11時、門が開く。さすがにこのポジション取りで席に困るということはない。聖火台近くの俯瞰観戦にはほぼベストな席を押さえられた。しかし、周囲がどんどん赤くなっていく。代々木門は赤軍の、千駄ヶ谷門はTGの領土なのは当然だが、本来は中立地帯のはずの青山門も赤軍の占領状態となっている。バックスタンドから右の方を視れば、自由席のDMZ====ThisIsTheErrorMessege====はかなりというかほとんど千駄ヶ谷門TG領のすぐ手前に設定されていた。いやはや、赤軍派の動員力恐るべし。
ぼくはここ何年か国立で天皇杯決勝を観戦している。しかし、同じタイトルマッチなのに、この雰囲気の違いはどうだろう。緊迫感が全然違う。やはり天皇杯だと、どちらのサポでもないけど「元日は天皇杯だよね」という観戦グループが少なからず存在する。ぼくもその一員だ。しかし、なび杯決勝をそういう気分で観戦に来るのはごく少数なのだろう。敵か味方か。勝つか負けるか。そして、今日のこの試合は、人数はともかくサポの温度ならおそらく互角に争える、TGと赤軍の決戦なのだ。緊迫しない方がおかしい。両チームのスタメン紹介でも、歓声とブーイングがぶつかりあって、それは決して混ざることがない。本当に音の押し合いが起きているようだった。

試合の展開はここでは深くは触れない、触れる言葉をぼくは持っていない。ただ、ジャーン退場の際のTGの対応は見事だった。藤山を入れて4バックを堅持し、中盤は3枚でなんとかする。今野のスタミナがあって出来る技だ。
ちょっと話がずれるが、このジャーン退場にはこんな意見====ThisIsTheErrorMessege====もあるようだが、はっきり言う、寝言は寝て言え。ジャーンは警告に値する反則を2回犯したのだから警告が2回出て退場になる。それがルールだ。違うのか?決勝戦だったら、警告の対象が緩くなるのか?「正しいことが良いことだったかどうか」って、まったく意味がわからない。審判が正しいことをしなかったら、“正しいこと”の基準はどこへ行くのだ。そんなスポーツは、少なくともぼくは絶対に見たくないし、そもそもそれを“スポーツ”と呼んではいけない。

話を試合に戻す。TGが攻撃できたのは後半途中までだったけど、それでもその攻撃では赤軍派をかなりヒヤりとさせたはず。ナオがこれでもかとばかりにオフサイドにかかっていたが、一つでも破られたら致命傷になりかねないだけに、赤軍DFにはプレッシャーになっただろう。
綺麗にボールが動かない、試合そのものをニュートラルに観たらかなり退屈な展開。試合の翌日、テレビ観戦した職場の同僚に「あれって、“いい試合”だったの?」と訊かれた。だが、それはTGが仕掛けた展開とも言える。そもそもの攻撃力に差があって、しかも人数が足りない。そして、「勝つ」ことがとにかく重要視される試合。TGはベストな選択をしたと思うし、そしてその選択をベストにしてしまったのは赤軍だ。TGの選択はTG側からしたらベストだった。それでも赤軍は勝つことが出来たはずだ。
赤軍派にはストレスのかかる試合だっただろう。サポも選手も。試合の前に闘莉王がTGのサッカーを「腐ったサッカー」と挑発していた。それが先日のリーグ戦====ThisIsTheErrorMessege====を受けての発言だとしたら、この日のTGは「腐りきったサッカー」ということになる。でも、ちょっと待って欲しい。
なび杯決勝で見せたTGのサッカーは、赤軍からしたら“腐敗”にしか見えないだろう。しかし、それでキチンと求められる結果を出したTG側からしたら、それは腐敗ではない。強いて言うなら“発酵”だ。これは以前の雑文でも書いたことだが、“腐敗”も“発酵”もやっていることは同じだ。
この試合でTGは「勝つ」ためにしなければならないことをやった。だから勝った、とは言わない。勝つためにしなければならないことをしたからといって勝てるわけではない。だから勝負はわからない。だから試合は観戦に値するものとなるのだ。


PK戦が終わるとぼくともう一人の観戦者はすぐに会場を出た。周囲はみな不機嫌だった。当然だ。この結果でゴキゲンになるような連中が、PK戦が終わってすぐに会場を出たりするわけがない。だから、試合終了後10分かそこらで信濃町駅にいた観戦者で、内心ゴキゲンだった人間は数えるほどしかいなかったはずだ。ぼくは、その中の一人だ。TGが勝ったこと。TGがああいう勝ち方をしたこと。

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