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travelnotes : domestic
MissionCopletedな九州旅行(leg.北九州)
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本城で岐阜隊アウェー+島原でJFLというのは、結構早いウチに決まっていた。もちろん、この仕掛けでMissionCopletedにするにはいろいろと準備やラックが必要で、というより「そもそもミッションとは何か?」なんだけど、それはちょっと置いといて(笑)。


2011年10月1日

コジコジじゃからんと、“のぞみ早特きっぷ”====ThisIsTheErrorMessege====で朝早く名古屋を出る。博多以西ならともかく、北九州が目的地ならわざわざ常滑まで行って空飛ぶこともない。
じゃからんは今年の岐阜隊の公式戦初観戦。もちろん、スカパ中継やらで今年の岐阜隊がいかにヘタれているかは承知している。しかし、彼女はこれまで『岐阜隊のアウェー戦観戦無敗』====ThisIsTheErrorMessege====の実績を持つ。本人は「トモキーに止められるなら本望(笑)」と言っているけど、こちらとしたらそんな彼女の実績に頼るしかないというのが正直なところ(苦笑)。なにせ明弘と秀人が累積警告と前節の退場で出場停止なのだ。

ぼくが日頃から使っているアンクルウェイトが夕陽====ThisIsTheErrorMessege====になったのでスペワ駅前のデポで2代目を購入、彼女は八幡で降りて先に荷物を預け、再び合流して二島から20分ほど歩くと本城の競技場だ。

J2
北九州 3−2 岐阜

じゃからんは「弱いっ!!」とご立腹だったけど、ぼくはそんなに腹は立たなかった。酷いサッカーじゃなかったから。相手より弱かったというだけだ。
明弘の代わりにチャリを右に置いて中が秋田アニキとノガって段階で「守備には期待できない、殴り合いにするしか勝ち目はない」という気はしていたし、ありがたいことにそれにギラさんもつきあってくれたというか、とにかくそういう試合展開に持ち込むことが出来た。ただ、殴り合いである以上は「何発入れるか」が勝負なわけで。「シュートチャンスをいかに活かしたか」、ギラQと岐阜隊はその差くらいしかなかった。ヤス監督が後半早々に安田を下げた時は「ラッキー!!」と思ったんだけど、安田交替と一緒に入った林に同点にされ、チャリの右サイドから思いっきりやられて決勝点。なんでも、ヤス監督はハーフタイムでまったく何も言わなかったらしい。ただ選手を替えただけ、それでチームが修正できてしまうのだから、「参りました(当社比)」と言うしかない。
ただ、押谷の1対1はともかく、コースを狙ってしかもフカした和範にしろ最後にぶっ飛ばしたジヌシーニョにしろ、結局のところはシュート技術が足りない。3-3には出来た試合だったし、しなきゃいけない試合だったし、そして出来ないからこその“ぶっち最下位”なのだろう。セ・ラ・ヴィ。

と、無理やり納得はしつつも悔しいことに変わりはない。試合終了後に折尾行バス乗り場でギラQスタッフさんが「お疲れ様でした!」とにこやかに声をかけて来た時に、流れる血の温度が急上昇して拳を握りしめたことを白状します。自分の中の緊急冷却装置が作動して拳を振り上げたりはしませんでしたが、バスの中でじゃからんと「サポって、『なんでそんな小さなコトがキッカケで灰皿投げたり(苦笑)するんだろ』って思ってた部分が理解できた」と話した。負けサポはみんなギリギリの気持ちでいるのだね。
と、そんな感じでぼくら2人もあまり愉快な精神状態じゃなかったけど、とりあえず予定通りの観光をしよう……と初めて帆柱ケーブル====ThisIsTheErrorMessege====に乗ってみる。

皿倉山のパラグライダー

八幡から無料バスでケーブル下まで行き、せっかくなんでスロープカーの券も買ってテッペンの皿倉山まで行ってみることにした。
ケーブルカーは更新して間もない====ThisIsTheErrorMessege====ようで屋根もガラス張りのピッカピカ、眺望も素晴らしい。終着の山上駅からすぐにスロープカーに乗り換えて数分で皿倉山展望台へ。
山の上は寒いぞ。そして、すごいわ、この眺め。夕方でこれだもの、夜景の時間はものすごいんだろうね。目の前で滑空しているのはパラグライダーだ。北からの風がガンガン吹き上がってくる。なんでも国内有数の好適地====ThisIsTheErrorMessege====だそうで、もう日も暮れてきているのにまだ2機が悠々と空中散歩を愉しんでいる。ぼくは下からバシャバシャと写真を撮ってしまった。じゃからんは「やりたい!やりた〜い!」と大はしゃぎ。でも、そんなに簡単に操作出来るもんじゃないだろうなあ。なにせ相手は風でこっちには機体?を操作する動力なんかない、まさに風をつかまえないといけないのだから。実際、パラグライダーの競技には着陸地点精度を競うモノの他に飛行時間精度を競うモノ====ThisIsTheErrorMessege====もあるそうだ。
最後まで悠々と浮遊を愉しんでいた方が降りたところで、ぼくらも山を降りた。降りる頃には本城での不機嫌な敗戦はどこかに行ってしまった(笑)。さあ、晩飯にしよう。

若松の『金鍋』

普段なら福岡に出て薬院の『あんじぇろ』で呑み喰いで決まり。でも、せっかく夕方まで北九州にいたのだから、北九州に泊まっていこう。じゃからんの誕生日も近いし、ちょっと贅沢してもいいかな…?と出発前に選んだのが若松の『金鍋』という店。====ThisIsTheErrorMessege====本当に何も知らず、単純に食べログで評価が高かったから選んだに過ぎない。予約のみでコースのみという料亭だったんで少々腰が引けたのだけど、行ってみたら実にとんでもない店だった。

店の入口自体は狭い道路に面してて、でも門をくぐると「ぼくらが入ってもいいんでしょうか…?」な雰囲気マンマン。“ビンボ人お断り!”みたいなタカビーな雰囲気は全然なく、でもすべてがキチンと整った雰囲気に圧倒。戸を開けると女将さんが迎えてくださる。

白状します。こういう、ちゃんとした料亭でちゃんとした料理をいただいた経験が全然ないので、ぼくは語れる“表現”を持っていない。ただただ単純に「美味しいです」としか言えないのですごめんなさい。前菜も刺身も牛鍋も、すべてが別次元に美味。牛鍋は八丁味噌と麦味噌のブレンドがベースだそうで、スープを味わうのではなくゆっくりと味噌ダレで煮〆ていくといった感じ。厚切りの肉や豆腐や野菜にしっかり絡みついたちょっと辛めの味噌風味と溶き卵のバランスがもう!もう!もうっ!締めにうどん、そして鍋とは対象的にメチャあっさりのツミレ汁と釜飯に、デザートももちろん手を抜いてなくて、しっかり満腹に。まいりました。

女将さんや仲居さんのお話によると、『金鍋』のここ若松での開業は1895(明治28)年だそうで、それがどういう年かというと下関条約====ThisIsTheErrorMessege====が締結された年だ。なんという伝統。建物は一度焼失したそうで、それでも1912(明治45年)に再建された現存の建物は2004年に国の登録有形文化財指定を受けている。
部屋は全部で5室あり、昼と夜の予約のみ、つまり1日に最大10組しか受けない。この日は偶然にも夜の部はぼくらだけだったので、女将さんが「他の部屋もご覧になりますか?」と仰るお言葉に甘えて“スタジアムツアー”を行ってしまった(笑)。石炭景気全盛時には筑豊のヤマの親方衆が集まったとか、大広間の舞台ではいまでも芸妓さんが踊ることもあるとか、火野葦平が執筆に使った間もあるとか、とにかく染み付いた歴史と風格がハンパじゃない。やはり若松という立地からか、観光客が押し寄せる街でもなく、だからこそこうした店構えが残れたのかもしれない。女将さんも「門司港と違って若松は『自然とレトロになった』」と仰っていた。「若松」という街のRise And Fallを見続けてきたのだ。

最後に、お会計。キチンと明細つきの領収書を出してくれる。ぼくらは岐阜駅前の「一度は行きたい」某焼鳥屋(苦笑)で明細なしでここより高い請求を喰らったことがある。確かに『金鍋』は安い店ではない。というか、高い/安いで言ったら明確に高い店だ。でも、その値段に相応しい満足を提供してくれる店だった。女将さんによると、岐阜から年に1回やって来るお客さんがいるそうだ。ぼくらはさすがに年イチでは通えないけど、それでも「必ずもう一度来たい」と思う。女将さんと仲居さんが外まで見送りに出てきてくださる。店を離れた時には本城での不機嫌な敗戦はニュートリノ1個分の重さも残っていなかった(笑)。

夜の若松渡場====ThisIsTheErrorMessege====までは歩いてすぐだ。夜釣りを愉しんでいる方も多い。戸畑行の船が来るまで、ベンチに腰掛けて夜の洞海湾の風景をちょっと愉しんだ。戸畑に渡ってから電車に乗って再び八幡へ。さすがに朝早かっただけあって、部屋に入ったら10分も経たずに轟沈(笑)。

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