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東北天皇杯予選はしごツアー(3)
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最終日。1時間も前にホテルを出て青森駅近辺を散策。ネットカフェがあるかと思ったらないし、それどころか駅前のコンビニが7時まで開かないというのはどうしたことだ。“はまなす”は5時半には着いているのに。することもないので、八甲田丸のあたりまで歩いて行ってみた。
ホームには6時前に出るつがるが停まっていて、先頭車付近では乗客が記念撮影。聞こえてくるのは中国語だ。台湾のひとか大陸のひとか。そういえば、昨夜の青森駅のみどりの窓口ではロシア人らしいグループがいて、なんとか日本語が出来るひとりが必死になって「函館経由で札幌に行きたい」と交渉をしていたっけ。
八甲田丸。これも使われなくなった鉄道遺物のひとつに過ぎない。過ぎないのだけど、廃線跡の駅設備や静態保存してある車両なんかとはまったく違うものだった。大きさがどうの、というのではない。

ぎいいいい。みしみしみし。ぎぎぎぎぎ。

当然だ。海に浮いているのだから潮の上下に従い船も動く。だから繋いである部分からは軋む音がするのだが、これだけで雰囲気がまるで変わってくる。廃線跡や静態保存車両が『死んでいる』という印象なら、この船は『眠っているだけ』という感じがするのだ。深夜にこの船から軋み音が聞こえてきたら、その音だけで日本酒の1合や2合は呑めそうな気がする。

駅に戻り、売店で“つがるロマン使用”と謳ったおにぎりを3つ買った。ホームに入り、青森駅の駅そば。旅先のいろんな駅でそばを食べたけど、青森はその中で圧倒的な「ワースト3」に入るという記憶があり、それを確かめたかったのだ。食べてみると、ワースト3というほどではないが明らかに平均点は下回るな、という感じ。やはり記憶にそれほどぶれはなかった模様。
ホームの北端には、いまでも連絡船乗り換え用の跨線橋が残っている。もっとも、入口は蓋をされて階段は見えない。何年か前に来た時には蓋はなく階段が見えていた。その瞬間、アタマの中で“津軽海峡冬景色”の1番がグルングルン鳴り出して大変な思いをしたものだが、蓋をされている状況ではそんなことは起きない。上の表現を使えば『死んでいる遺物』なのだった。

八戸行特急の車内でおにぎりを食べた。“みそやき”は文字通り表面に味噌を塗って軽く焼いたもの。他の2つも、よくコンビニで売られているものと違って、保存料が使われていないという印象で、いい感じ。昨夜は遅くて見ることが出来なかった野辺地駅の南部縦貫鉄道====ThisIsTheErrorMessege====廃線跡だけど、駅の面影はカケラもなく、千曳の南側に橋桁と築堤が残っているだけのようだった。もともと、走っていることが冗談のような鉄道だったが、ぼくは一度も乗る機会がなかった。

八戸で今回も「えんじょいカード」を購入して、乗り換えて本八戸へ。ここからバスで旭ヶ丘営業所の手前まで行き、そこで工業大学前行きに乗り換えると、9時ちょうどくらいに工大に着く。このプランは完璧だったけど、グラウンドに着いた時は選手たちも着いたばかりのようだった。一応、運営の方に訊くと果たして試合開始は10時とのこと。今回は協会の情報が正しかったわけね。なもんで、1時間近くをキャンパス周辺をぶらぶらしながら時間つぶし。
八戸大学と対戦するのは七戸高校。大学対高校。おそらく、鋳造が最も「視ないだろう」というカードで300ピッチ達成。世の中すべてうまくいくわけじゃないよ、ちゃんと青森で300ピッチになっただけでも感謝しなきゃ、というメッセージなのだろうか。

隣の陸上競技場からは、女子高生らしい声のアイーダ凱旋行進曲が聞こえてくる。そんな中の第1試合。9-0で八戸大の勝ち。それでもぼくに不満はなかった。9-0に相応しい実力差があったからだ。点差が開いても八戸大のプレーが雑になることはなかったし、七戸高は「1点取ろう!」と気合を入れ続けていた。攻めることも守ることも出来なかったというだけだ。何せ相手は2年連続の県代表なのである。そんな強豪と公式戦で戦ったことを財産とすればよいのだ。

八戸大の試合が終わると、第2試合はすぐに始まった。黄色のユニは三本木農高。青森山田や五戸とともに県を代表する強豪高のはずだ。対戦する赤いユニの社会人チーム、胸にはMISAWAの文字。エンブレムがあるべき左胸には“AIR BASE”。空自三沢基地ではないか。選手たちが自主的に開始前の記念撮影。「最後の記念撮影だもんな」と言いながら笑顔でカメラに収まる。彼らも、三本木農高に勝てるとは思ってないのだろう。
バスの発車まで少し時間があるので10分だけ視ていくことにした。すると、三沢基地のCBがベンチに「ラインコントロール、どう?」と訊いてくる。ベンチでは「ラストマッチだもんな、気にしてるよ」と笑い声。
ぼくには強烈な違和感があった。喩えこの試合で確実に負ける程度の実力差があったとしても、普通は「ラストマッチ」という言葉は使わないのではないか。もしかしたら、本当にラストマッチなのではないか。この大会を最後に空自三沢基地サッカー部は解散してしまうのではないか。でも、そんなことを試合中のベンチに訊くわけにもいかない。ぼくは予定通りの行動を取ることにし、10分経ったところで会場を後にした。サッカーを続けていれば、こうして元日の国立決勝につながる枝葉の端に身を置くことだって出来る。空自三沢基地サッカー部、もう一度会おう。いつかどこかで。出来れば、絶対に。

バスとタクシーを乗り継いで、地元の回転寿司屋に行った。午後1時だというのに駐車場に車も少なくて驚いたが、もっと驚いたのが寿司が一つも回っていなかったことだ。回っているのは100均で売っているようなプラのペンケースで、客はカウンターの注文用紙に自分の席番とオーダーを書いてペンケースに差す。店員はそれを見て寿司を握り、皿に席番を書いた付箋紙を貼って回転台に流すというシステム。確実に握りたてが食べられるのはありがたいし、店側にしてもロスが生じないので効率いいのかもしれないが、回ってくるものをたったか食べて腹いっぱいにするというペースでは食べられないし、もし店が混むようだとシステムが破綻するのではないか。
もっとも、午後1時にしては店は失礼ながらかなり閑散としていたし、心配無用なのかも。やって来る客も本当に地元のひとばかりといった感じで、店側も「ジュース、デザートは持ち込み自由(アルコールはだめ)」「ビールは缶しかありません。高いですしお一人2本までですのであまり飲まないでください」と張り紙してあったりで、商売っ気はあまりなさそう。こういう回転寿司屋もあるんだね。

小中野駅まで歩き、八戸線に乗る。高架駅から見える小中野の風景は完全に“旧市街”のそれだった。八戸駅で職場の土産を買って、新幹線を乗り継いで岐阜まで戻った。鉄道利用で八戸から岐阜まで6時間かからないって実はものすごいことなのではないかという気がする。


かくして300ピッチツアーは天皇杯の県予選で達成したわけだけど、帰宅して調べてみるとぼくはこれまで天皇杯の県予選というものを11都道府県で視ている。サッカー視初めて12年、少なくともあと12年はかかりそうなテーマだけど、「全都道府県の天皇杯予選を視る」というテーマも悪くないかもしれない。天皇杯とは、元日の国立を明確な目標にしているクラブばかりが参加している大会ではない。Jクラブと公式戦で戦いそして勝つことを目標にしているクラブもあるし、全国大会での初戦突破を目標にしているクラブもあるし、県予選決勝だとテレビ中継もあるのでそれに映ることを目標にしているクラブだってあるのだ。

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