cyic.co.uk 吉田鋳造総合研究所
travelnotes : domestic
milkland2004(第4話)
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翌朝6時。予定通り、鮮やかに雨である。低く垂れ込めた雲。こんな天気で、無理して開陽台====ThisIsTheErrorMessege====に行ってどうなると言うのだろう。ホテルの朝食バイキングをゆっくりと食べた。食べ終わる頃には雨が本降りになってきた。西へ、今日の最初の目的地へ。
第1の目的地は虹別だ。20年以上前の北海道旅行。初めてのひとり旅。ただ、周遊券で乗れるというだけで厚岸から標茶経由で訪れたのが、この虹別。この頃からバスは1日3本か4本しかなかったんじゃないかとうっすらと記憶している。何の変哲もない、北海道の集落だった。実はこの虹別訪問は、その北海道旅行のみならず、その後のぼくの旅行すべてに影響を及ぼしている。雑誌などで紹介してあるポイントを目的にするのではなく、とにかく自分が行きたいと思ったところに行く。そういう風に旅の志向が変節したのが、この虹別訪問だったのだ。
虹別は鉄道が通っていなかったが、中標津から弟子屈に行く街道の途中にある、そこそこ大きな集落だ。記憶に残っているバス乗り場はすぐに見つかった。しかし、バス停にも待合室にも発車時間は書かれていない。当時はなかったはずのコンビニで尋ねると、標茶町営バスがやって来るには来るのだけど、日曜祝日は運休だし、ほとんどスクールバスとしてしか機能していないのだそうだ。20年が過ぎればいろんなことが変わる。
摩周駅まで走って少し休憩してから、鶴居方面へ。今回、バイクで道東を走ろうと思った最大の目的地・上御卒別に向かう。

そこに何があるのかというと、これも20年近く前だと思うが、当サイトからリンクしているJsato.org====ThisIsTheErrorMessege====の佐藤画伯が単車で上御卒別あたりを走行中に、『軌道乗場』というバス停を見つけたというのだ。『軌道乗場』だぞ!簡易軌道====ThisIsTheErrorMessege====が廃止になって33年経つ。もしまだこの名前のバス停があったら奇跡ではないか。というか、そもそもバス路線そのものがある保証がまったくない。
しかしバス路線そのものはあるらしい。阿寒バスが釧路=鶴居=摩周=川湯温泉の路線バスをいまでも走らせているが、ルートを調べると、この路線は上御卒別を通るとしか考えられないのだ。

どうでしょうベトナム編のようなすごい雨の中を走って、上御卒別の集落に着いた。ゆっくりゆっくり『軌道乗場』バス停を探すが、みつからない。道ゆくひとに尋ねようにも、その道ゆくひとってのが全然いない。上御卒別の集落内を何度か往復して諦め、上御卒別小中学校に行ってみると、玄関前にクルマが1台停まっていた。今日は日曜だが、誰か来ているな。玄関から「ごめんくださぁーい」と叫ぶと、若い先生が出てきて応対してくれた。先生は体育館で何かの練習をしていた生徒君を呼び出してくれたが、2人とも「軌道があった」ことは知っているけれど、終点がどのあたりにあったのか、そして『軌道乗場』というバス停があったかどうかは全然わからないとのことだった。礼を言って雨降る外に出る。玄関に停まっていた先生のクルマは函館ナンバーだった。赴任して来て何年目なんだろう。
もう一度、ゆっくり集落内を走る。集落の入口のバス停は『上御卒別入口』だった。おかしい。昔から存在する路線なら、こういう名前のバス停名はつけない。『**宅』とか『**線』とかになるはずだ。しかも、バス停名が書いてある円盤が他のバス停よりも新しい。どうやら、この『上御卒別入口』バス停がかつての『軌道乗場』であったと思われる。
今回の現地調査でわかるのはここまでだ。もちろん、阿寒バスに問い合わせればその答はすぐにわかるだろう。でも、ぼくはその手段は使わないことにした。すべてがわかるわけではない。すべてがわかる必要だってない。謎を謎のまま残しておくのも悪くないのだ。ぼくは上御卒別をあとにした。もうここに来ることは、ないだろう。

民家の気配が全然ないエリアを淡々と走って、ようやく鶴居村の中心に着いた。雨は止んだ。村役場の近くにある地図で、ふれあいセンターのサッカー場の場所を確認する。ネットでいろいろ調べたけど確実な情報がなかったのだ。結局、「ここかここだな」と考えていたどちらでもないところにサッカー場はあった。

着いてみると、屋根もスタンドもないものの、試合をするには何の問題もない実にいい状態のピッチだった。この日はまず北海道リーグのRシュペルブ釧路とえり善真木VANKEIの試合が行われる。シュペルブのサポというか関係者という感じの女性がビデオカメラの準備をしていた。シュペルブはリーグ最下位、VANKEIはドベ2。要するに生き残り大作戦====ThisIsTheErrorMessege====の試合だ。
試合が始まって少し経って、地域リーグウォッチャーのS君が到着、2人で観戦する。彼はVANKEIの守備がどういう約束事になっているのか全然わからないと悩んでいた。試合の方は、そんなVANKEIの守備の乱れを突いてシュペルブがなんと5得点!イメージ的には全盛期の藤吉信二を彷彿とさせるFWの選手が得点を重ねていく。途中から現れた子供たちから歓声が上がる。
「もう1点!」「もう1点!」
「わかってるって!」
なかなか、いいキャラクターだ。
試合はRシュペルブの圧勝だ。終了後、バックスタンドで声援を送っていた数少ない観客に選手が挨拶に来た。件のFW君が叫ぶ。「皆さんのおかげで、初勝利を挙げられました!」どんなに数が少なくても、選手達は観客の声援で自らを奮い立たせる。かつて、高知の日高村で西日本社会人を視た時、次の試合で出てくる鳥取キッカーズの選手たちがウォームアップしながら「サポの人たち、来てるね」「気合い入るね」と話していたのを思い出した。下のカテゴリーで戦うクラブについているサポの皆さん、想いは確実に、クラブにも選手にも伝わってます。がんばりましょう。

続く鶴居の第2試合は、5部に相当する「道東ブロックリーグ」====ThisIsTheErrorMessege====の別海クラブと帯広FCの試合。帯広FCのファンサイト====ThisIsTheErrorMessege====によると、この道東ブロックリーグというのはちょっと独特な運用になっているようだ。かつては道リーグにいたこともあり、ブロックリーグ首位争いまっただ中の帯広FCと、最下位爆走中の別海クラブ。もし帯広が先制したらその瞬間に試合の行方は決まってしまう、というようなイメージをぼくは持っていた。のだがしかし。
試合は別海クラブが先制してしまう。中盤の支配もどっこいどっこい。しかも、試合内容は典型的な5部のそれ、に見える。うーむ、こりゃなんだかなあ………と思ったころ、試合が行われているピッチの向こう側から、聞き覚えのある“声”が聞こえてきた。

「あれ・・・・・タンチョウ?」

初めは幻聴だと思った。タンチョウは冬鳥だと思っていた====ThisIsTheErrorMessege====のだ。鳴き声はさらに大きくなり、少しして十数羽のタンチョウの群がサッカー場の向こうの林の蔭から飛び立って、優雅に空を舞い始めた。あんなにゆっくりと羽ばたいて、ゆっくりと飛ぶなんて。本当に『優雅に』という表現しか思いつかない。今回の北海道ツアーでは、サッカーやらエスカロップやら『軌道乗場』やら、自分の中でいろいろ課題を用意して臨んだのだけど、まさか空を舞うタンチョウに出会えるなんて、思ってもみなかった。
試合の方は、結局は中盤に君臨する川田選手====ThisIsTheErrorMessege====の活躍と、吉田鋳造じゃなくて吉田雄造選手のハットトリックで帯広が4-2で逆転勝利を収めるのだけど、このサッカーだと、もし道リーグに復帰しても家賃が高い====ThisIsTheErrorMessege====のではないだろうか。少なくともシュペルブの方がやりたいことが明確で愉しいサッカーをやっていた。一緒に観戦した帯広サポ氏もちょっと先行き不安だなあ、という表情だった。

さて、観戦も終えたのでぼくはバイクを返しに帯広まで走らなければならない。しかし、鶴居から釧路に向かって走っていたとき「コッタロ湿原入口」の看板を見つけて、発作でハンドルを切ってしまった。天気も回復してきたし、やはり湿原を視ずに帰るわけにはいかない。

ほとんどクルマの姿を見ないことをいいことに、相当な道路交通法違反を続けて、なんとかコッタロ展望台のあたりにまでたどり着いた。木々の隙間から見える湿原は、しかし残念ながら大いなる感動は与えてくれなかった。再びダッシュで国道に戻ってひたすら南下。村営軌道跡のゲート====ThisIsTheErrorMessege====を確認したら、とりあえずバイクでの今回の目的は終わりだ。釧路郊外まで戻って今度はひたすたひたすらバイクを西に走らせて、YSP帯広に着いたのは夕方の6時過ぎだった。走行キロは900km近く。サービスキロをかなりオーバーしてしまった。店員さんも驚いていた。

バイクを返却して、再びタクシーで帯広駅へ。このタクシーの運将も「帯広地区の運転マナーの悪さ」をさんざん話してくれた。よほどなのかもしれない。札幌行特急列車までは結構時間があるので、“北の屋台”近く、こんびにさんお勧めの『らくれっと』====ThisIsTheErrorMessege====へ行く。

ドイツビールを2杯と、チーズを2品。ボックビール====ThisIsTheErrorMessege====というのを初めて呑んだが、重い飲み応えが新鮮だった。品のいいお店に、品のいいマスター夫妻に、品のいいチーズ料理。まさに旅の打ち上げにふさわしい、いい感じの店だった。
軽く酔っぱらったところで、締めにラーメンでも食べようかと思ったのだけど駅構内食堂は店じまいが早い。再び“北の屋台”に戻り、『楽屋』で塩ラーメンを食べた。店内に“つなぎ”を着たおじさまがいたので、同好の士だなと思って話しかけると、その通りだった。おじさまもすでに根室を通過していた。「“サンマまつり”行きましたか?」と尋ねられる。「もちろん!2匹焼いて喰いました。めちゃ美味でしたね」と、ぼく。
「じゃあ、刺身も?」
「・・・えっ?」
おじさまは挑発的に「そりゃあ来年も来ないといけませんね」と笑った。しまった、また課題が出来てしまったではないか。

帯広から千歳まで「スーパーおおぞら」の、再びグリーン車。しかし自由席もガラガラで、余計な出費はいらなかったのだとちょっと後悔する。しかし、ぼくは新得に着くあたりで完全に爆睡モードに入ってしまい、例の女性乗務員さんに「お客様?まもなく南千歳です」と起こされるまで夢も見なかった。危ない危ない、もし自由席だったら札幌まで轟沈だったことだろう。千歳市内のホテルに投宿し、そのまま沈没してしまう。
翌日は、ただ帰るだけ。千歳空港で再びS君に会い、「これから秋田に行って東北リーグを観る」という彼のタフネスに感嘆して、ぼくは名古屋に戻っていった。夏の北海道もクセになりそうだったけど、秋の北海道もクセになりそうだ。あぶないあぶない。

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