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milkland2004(第3話)
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ここからはせっかくなので海岸沿いに霧多布に向かうことにした。途中の琵琶瀬展望台では、北側に広がる霧多布湿原が一望できる。そちら側は好天でいい感じに見渡せるのだけど、これから向かう霧多布方面は薄いクセになんか不気味な感じの雲がかかっていた。ここまで来て行かないわけには、と霧多布岬に向かうが、この気候の違いはどうしたことだ。霧と風の中の霧多布岬はマジで寒い。これは本当に魔物がいるみたいだ。この気象の違いは、本州では考えられない。
浜中まで戻ってくると当然だが霧はどこにもなくていい天気だった。しかし、ここに来てぼくはあせり始めている。所要時間を完全に読み間違えたのだ。北海道は想像以上に広い。とにかくなんとしても最東端の納沙布岬には行きたい。しかし、今夜の宿は中標津だ。根室からの戻りがけに別海の展望台などに立ち寄る時間は、おそらくない。
とにかく根室までは急がなければならない。国道44号をいいペースでかっ飛ばした。すると、対向車からパッシングサインが!もしやもしや、レーダー捕捉準備中?!あわてて速度を落として5kmほど行くと、ちょうどレーダーの設置準備が終わるあたりだった。危ない危ない。北海道のドライバーは優しいね、ありがとう。しかし、原野に伸びる一本線の国道でレーダーなんかやったら入れ喰いなんじゃないだろうか。

根室市に入る。途端に増えるロシア語表記。案内標識にもロシア文字が頻繁に登場する。需要を考えれば当然なのだけど、それでも違和感は拭えない。そして「納沙布岬 38km」だかの表示にげんなり。これは真剣に別海での寄り道は無理だ。諦めよう。それではと春国岱====ThisIsTheErrorMessege====にちょっと立ち寄ってみるが、特に展望がいいわけでもなかった。
別海の寄り道を諦めてしまえば、根室で急ぐ必要はない。東根室駅====ThisIsTheErrorMessege====を探し当てた。ホームでは高校生くらいのカップルが話をしている。数分待てば釧路行がやって来るので待つことにした。駅から見える景色は、夕方が近いこともあるけどとにかく場末の雰囲気に満ちている。やがて釧路行がやって来たけど、カップルはそのどちらも列車に乗らなかった。どうしたのかな。ホームを離れる単行のディーゼルカーを見送りながら、根室にはもう一度来たい、その時は列車で来たいと、真剣に思った。

半島の南岸を東へ。ポツリポツリと集落がある。雲はどんどん厚くなっていく。やがて到着した歯舞の集落。せっかくだからと道ゆくおばあさんに根室拓殖鉄道====ThisIsTheErrorMessege====のことを尋ねてみたが、「この辺に踏切があってあの辺に終点の駅があって」と指差すところには面影なんかカケラもなかった。しかし、こんなところまで線路があったというのが2004年の現在ではまったくもって信じがたい。

さらに東に行くと一部マニアには有名な珸瑶瑁====ThisIsTheErrorMessege====があり、ここを過ぎると納沙布岬だ。天気が良ければ水晶島====ThisIsTheErrorMessege====が視えるはずなのだけど、夕方だし曇っているし、全然だった。観光客が入れ替わり立ち替わりやって来て、最東端の票で記念撮影をしていく。灯台があるので行ってみた。先端に回り込むと、そこには座礁したロシアの船が朽ち果てていた。その時。

「ぶわあああああああああああああん」

ぼくの全内臓が一瞬動きを止めたかもしれなかった。灯台の建物には「霧が深い時には“霧笛”が鳴ります。大きな音なのでご注意ください」というような注意書きがあった。なるほど、これがそうか。しかし、真剣にびっくりしたぞ。展望台に戻り、土産物屋でマグカップを買った。
同じ道を通っても面白くないので、根室への帰りは北側の道で行くことにした。かつて、根室=納沙布のバスは北回りと南回りと2系統があって、南回りは「太平洋まわり」と表示されていた。ということは北回りは「オホーツクまわり」ということになるが、どうやらいまは運行されていないらしい。しかし、単車で走ってみると、もうバスが走っていない理由がわかってくる。民家がほとんどないじゃないか。雲が垂れ込め風も強く、朝方の幸福駅ではドイツみたいだと思ったのだけど、この景色はマンチェスター行の飛行機から見下ろしたイングランド北部の荒涼とした大地を連想させる。時折対向車が来るので安心出来るが、とにかく夜は絶対に走りたくない。そんな気にさせてくれる。とにかく根室市街に早く着きたい、その一心でバイクを走らせた。

ようやくたどり着いた根室市街。JF共済の広告がちょっと新鮮。と思いながら信号待ちいると、港の前が何やら賑やか。交通整理も行われていて、市民がぞくぞくと集まっている。なんだなんだ?せっかくなので立ち寄ってみると、そこは「根室サンマまつり」の会場だった。中では、なんと取れたてサンマが食べ放題!さっそく2匹わけてもらって炭火で焼いた。じっくり焼いたところでレモン汁をかけて食べる、いやこれがもう美味なこと美味なこと。とんでもないうまさだ。食べ放題なので何匹でも食べられるのだけど、食べることについては他に目的があったので名残惜しいけど2匹で打ち止めに。売店で、サンマの魚醤====ThisIsTheErrorMessege====なんていう珍しい物を売っていたので買う。鍋物で使えそうだ。
さて、上で書いた“他の目的”というのが、エスカロップ====ThisIsTheErrorMessege====だ。バターライスの上にトンカツが載り、デミグラスソースがかかっているというもので、トルコライス====ThisIsTheErrorMessege====と同じような地域限定メジャーグルメらしい。せっかく喰いに行くのだから評判のいい店で喰いたい、と出発前にネットで調べたところ「どりあん」という店が有名らしい。根室ボスフールを探すのに少々苦労したけど、そのすぐ近くに「どりあん」はあった。店内は穏やかな感じのインテリアでまとめられていて、いい感じ。出てきたエスカロップも美味、食べ放題のサンマを2匹でガマンした甲斐があったというものだ。
外は完全に夜になった。7時近く。根室駅に行ってみると、ちょうど釧路からの列車が着く頃だった。約10分の停車で折り返す、慌ただしいダイヤ。いまから急いで走ってもどうせ周囲の景色は見えないし、せっかくなので列車の到着まで待ってみよう。入場券を記念用ではなく本来の目的で買うのは本当に久しぶりだ。ところが、なかなか列車がやって来ない。駅長さんも心配そう。やがて、遠くから「ふわーん!」という警笛とジョイント音が聞こえてきた。でも、もうすぐ着くなと思ったのはぼくだけだった。「まだ時間かかるわ」と駅員さん。「そうなんですか?」、「ありゃあ、花咲と東根室の間だな」あとで地図を視ると、4kmは離れていた。でも、それだけ距離があるとはとても思えないくらい、はっきりと列車の音が聞こえたのだ。逆に言えば、それだけ混ざり合う都市の騒音がない、ということでもある。
列車は定時より数分遅れて到着。慌ただしく乗客を降ろし、また慌ただしく乗客を乗せる。乗り込む客の中に東根室で会った高校生カップルがいたような気がするのだが。普通列車の釧路行、終点まで2時間15分。全駅に停まるのに表定速度は60km/hを越える。たいしたものだ。列車が出ていって、根室駅には静寂が訪れた。驚いたのは、約2時間後にまだ釧路行があることだ。夜7時近くなのだから当然といえば当然なのだけど。
さて、根室での用事は終わった。先に書いたが今夜の宿は中標津。もちろん、別海でいろいろ観てまわることを前提に予約したのだが、もう真っ暗でどうしようもない。根室市街地を出たところで給油し、そのまま国道を西に突っ走る。さすがにこの時間ではレーダーもやってないだろう。

やがて、厚床の交差点。ここで北方向に曲がるのだけど、もしやと思って厚床駅に寄ってみると、やはりぼくは先程の根室駅で発車を見送った釧路行普通列車を追い抜いていた。駅には根室行列車が停まっていて、離合の釧路行を待っている。ひんやりした感じの夜の駅というのは、実にいい感じで大好きだ。誰もいない暗いホームに釧路行がやって来た。待ちわびたように、反対側ホームから根室行が出発。そして件の釧路行も出て行き、駅はまったく音がしなくなった。いや、違う。音は聞こえてきたが、それは駅から離れていく釧路行列車のジョイント音だ。驚いたことに、発車から4分経ってもまだ厚床駅までその音は届いてきた。
ここからは北へただひたすら走るだけ。暗く、対向車も滅多に通らない道を突っ走る。だから、交差点に

ヒント

なんて標識があっても全然深く考えることもなく、まっすぐ走った。自分がどこを走っているかなんて、まったく何も疑問に思っていなかった。だって、ぼくは中標津に向かっているのだから。
走りながらふと考えた。携帯電話は使えるのだろうか。バイクを道端に停めて、電源を入れてみるとアンテナはちゃんと3本立った。本当に、便利な世の中になったものだ。携帯電話の電源を切り、そしてモノは試しにバイクのエンジンも切ってみる。
途端に、いままで聞こえてこなかった音が聞こえてきた。防風林が揺れる音。その他の音はまったく、本当にまったくしなかった。そして、その防風林が揺れる音は、「防風林が揺れる音」にはまったく聴こえなかった。夜になって魔物が活動を開始したような音だった。ぼくの心の底から恐怖感が沸き上がってきた。いままでに経験したことのない種類の恐怖感が。あわててバイクのエンジンをかけて、逃げるようにぼくは走り出した。とにかく北に走れば目的地だ。
やがて、床丹という集落に出た。「床丹水産」なんて会社の倉庫みたいな建物が見える。水産?ここに来て初めて、自分はどこを走っているのだろうという疑念が生じた。その疑念は、生じてから1分も経たないうちに確信になった。道の右側に漁船が見えたのだ。もしぼくが厚床から中標津に、旧標津線沿いにまっすぐ走っているのなら、海など見えるはずがない。さっきから見える標識にある「標津」ってのは、ぼくが向かっているのは「中標津」ではなくて「根室標津」なのではないか?
そして、「尾岱沼」に到着してようやくぼくはコンビニの駐車場に停めて地図を確認する。こういうことだったのだ。いやはや、思い込みというのは恐ろしい。

こたえ

とにかくルートを修正しないといけない。時間は8時半近く、あと30分で投宿できないと“速報Jリーグ”が視れなくなってしまう。最短で中標津に行くには、ここからすぐに道道363号を西に向かうしかない。道なりにまっすぐ走れば、中春別で道道8号に出るはずだ。
そして走り出した道道363号は、先ほどまでの国道に輪をかけて、周囲に何もない道だった。人家などまったく期待できない。走りながら見える明かりは、道路脇の黄色い反射板と、時折見える道路標識と。つまり、全部自分のバイクが出している明かりなのだ。空は曇っているので月も星も見えない。対向車もまったくアテに出来ない。途中でパンクとかしたらどうしよう。人家を見つけられるだろうか、探している間にクマに遭遇したりしないだろうか。頭の中に“マーフィーの法則”が蘇りかける。こんな時に必要なのは“根拠のない確信”だ。飛行機の客室乗務員さんが「私の乗っている飛行機は落ちません!」と宣言する、あれだ。果たして、ぼくのバイクはパンクすることもクマのこどもを轢いて親クマに逆上されることもなく、中春別に着いた。道道8号との交差点で、初めて「中標津」の文字を視た時、ぼくは大泉洋のように叫んでいた。「こわかったぁ~っ!なまらこわかったぁ~っ!」
中標津市街地の入口のコンビニでビールとつまみを買ってホテルの場所を尋ねた。投宿は9時5分前、部屋にかけこんでテレビのスイッチを入れると、まさに“速報Jリーグ”が始まるところだった。やれやれ、危なかった。視終えて風呂に入り、ビールを呑んで寝てしまう。明日は雨だそうだが、しかたがない。もともとは今日も雨という予報だったのだ、保っただけよしとしなければならない。

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