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travelnotes : domestic
milkland2004(第2話)
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土曜日。やれやれ、霧である。目覚めたら5時だ。早く寝たからね。ホテルの朝飯は7時からだけど、2度寝しようとは思わない。こういう時はネットカフェで時間つぶしするのが最近のぼくの旅の傾向だ。何杯でもコーヒーが飲めるし、情報も手に入る。フロントで訊いたら、JR高架線近くに24時間のネットカフェがあるという。さっそく出掛けて会員証を作り、1時間の間にアイスコーヒーをがぶ飲み。便利な世の中になったものだ。
ホテルに戻る。スポーツ紙も一般紙も『スト突入』の大見出し。特に日ハム北海道にとってはプレーオフ争いもあるし福住で2試合組まれてた====ThisIsTheErrorMessege====こともあるしでオオゴトだろう。でもぼくは数少ない?スト経験のある労働者だけど、たいして面白いものでもないよ。朝食を済ませて出発。

帯広の街を一気に南下。気づくと周囲は畑だらけになっていた。だんだん宅地が少なくなるのではなく、突然畑や原野になる。北海道の景色はそういう風に変化する。都市は都市であり、原野は原野であり、決して混ざり合うことがない。
愛国駅入口の表示を見つけて脇道に入った。愛国駅は駅舎がキチンと残っていて、====ThisIsTheErrorMessege====切符型の大きな石碑があった。まだ朝早いせいか駅前の土産物屋はまだ開いていないので特にすることもなく出発。再び国道に入ってしばらく南下すると、こんどは「幸福駅」の看板があった。駅跡近くにはバス停もある。とかち帯広空港=市街のバスが停まるようだけど、バス停の名が「旧幸福駅」でも「幸福駅跡」でもなく「幸福駅」だってところが、なんともすごい。
空港に近いせいか、周囲に住宅とかもなく観光地化しやすかったからか、大型バスの駐車場まであった。駅舎近くまで単車を入れてみる。木造の駅舎には使用済の定期券やら名刺やらが群がるようにこれでもかと貼り付けられていた。通り抜けてホームに出てみると、昔懐かしのディーゼルカーが静態保存されていた。ホームの駅名板も当時のままか。1面だけの細いホームの柵をリスがトコトコと走っていった。駅舎の前には土産物屋があり、1軒はもう営業していた。お約束とはいえ記念に切符のキーホルダーを購入。ちゃんと訪問日の日付が入っていた。このお店のご主人が駅前の清掃もしている。ヨーロッパの、ドイツのどこかを連想させるような景色だった。
だんだん霧も晴れてきた。ここから東へ。豊頃町では『ハルニレの木』というのが有名らしい。バイクの機動力を活かして行ってみる。十勝川左岸の河原にポツンと立っている2本の木。うーむ、これは霧がかかってた方が幻想的な景色になってよかったのではないか?
さて、普通ならこのまま国道を東に行って釧路方面に走るのだけど、ぼくは再び橋を渡って十勝川右岸に戻り南下した。渡船マニアなら絶対に、絶対にはずせない、旅来渡船場====ThisIsTheErrorMessege====の跡地へ。
かつての渡船場はこのサイト====ThisIsTheErrorMessege====を参照してください。現在は堤防の入口に石碑が建っているだけ。かつてはあったはずの、堤防から降りてくる道向きに建っていた案内標識もなくなっていた。試しにその道を堤防を上ってはみたが、川まで降りていく気にはならなかった。
いまは石碑があるだけの、ただの一直線の道。しかし、ここが交通の上でポイントであったことを示すものは石碑の他にも存在する。それは道の名前だ。現在は豊頃から十勝川河口の大津までただの1本の道に過ぎない。しかし、この渡船場跡から北の豊頃側は道道320号旅来豊頃停車場線であり、南側は911号大津旅来線なのだ。名残りは気づかないところに存在する。

旅来渡船を廃止に追い込んだ十勝河口橋====ThisIsTheErrorMessege====を渡って、吉野共栄交差点からは国道38号で釧路まで。道東の大拠点・釧路までは高速道もなく、道路交通はこの国道がすべてだ。交通量も多いが、信号が少ないので多い割には流れている。原野を通り過ぎて、白糠の街に入った。休憩の意味も込めて駅前に行ってみる。

20年以上前にもぼくはここに来ている。当時はまだあった国鉄白糠線の夜の列車で1往復してから、駅前のラーメン屋で地元スナックのママさん達とラーメン食べながら『高校聖夫婦』====ThisIsTheErrorMessege====の最終回を視たのだ。しかし、行ってはみたものの、該当するらしきラーメン屋は見あたらなかった。20年以上前の話なのだ。駅前にあるバス乗り場には大勢の乗客がいたが、彼らは釧路駅行のバスを待っていた。白糠=釧路が30分ヘッドで運行というのには正直言って驚いた。再び国道に戻る。交差点には電器屋があったが、「冬の準備は大丈夫ですか?」と書かれたストーブ点検の広告がベタベタ貼ってあった。9月の話である。名古屋ではまだTシャツ1枚で十分な陽気のはずなのだが。

釧路市街に入ったのは11時頃だ。釧路に来たからには、十條====ThisIsTheErrorMessege====グッズは手に入れていきたい。そう思って、朝の帯広のネットカフェで情報を仕入れておいたのだ。本当に、便利な時代になったものである。行ってみるとそこは十條のファンショップなんかじゃなくてホッケー用具店だった。そこが十條の応援グッズも扱っているという次第。ぼくが来店した際にも、小学生高学年くらいの男の子2人がスティックやグローブを選んでいた。ここは、ホントに骨の髄までアイスホッケーの街なのだろう。おそらく苫小牧と丁々発止の覇権争い====ThisIsTheErrorMessege====をしているのだろう。悪くない。
十條グッズもいろいろ買えたし、釧路に来たからにはやはり幣舞橋には行っておく必要があろう。文学にも登場したらしい橋だが、ぼくは浅学のために歌謡曲に出てくることしか知らない。行ってみると、市街地を流れる旧釧路川の河口にかかる橋だけあって、ムードがどうこう言うより完全な交通の要衝であった。夜になるとイメージも違うのだろうけどね。

幣舞橋を渡って適当に昆布盛の方に走っていると、左側にいきなり古びた架線柱の群れが現れて、当然だがぼくは叫び声を上げてしまった。線路跡だけでも観れればと思っていた太平洋炭坑====ThisIsTheErrorMessege====が、まさに適当に走っていただけで現れるとは!いやいや、瞬時に体内でアドレナリンが臨界状態になってしまった。ただでさえちょっと遅れ気味の行程なのだけれど、ええいっ知ったことか。
ここから国道44号に出るまではアップダウンの厳しいローカルな細い道をずっと走っていたのだけど、刈り取った昆布の乾し場にさしかかると、メットの中にまで昆布の香りがつーんと入ってくるのにはびっくりした。ようやく国道に出る道をみつけ、そのあとはだぁーっと走って厚岸に着いた。釧路で昼飯を喰いそびれたので、ここで駅弁「かきめし」を食べることにしたのだけど、駅のKioskで尋ねると「売り切れです」とつれない返事。でも「15分くらい経つと追加が来ますよ」と言われて待つことに。時間があるので、この駅で帰りの帯広からの乗車券と特急券を出してもらう。
駅前広場で弁当を広げて食べた。この駅も例の20年以上前の旅行で降りているはずだ。ここから国鉄バスで標茶方面に向かったはずなのだけど、すでに厚岸のJRバスはなくなっていて、標茶方面のバスも出ていなかった。

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