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北東北観戦ツアー(第2話)
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ホテル1階の狭いレストランでバイキングの朝食。朝食と一緒にビールを頼むような団体客と一緒になり、落ち着いて食べられない。落ち着いて食べられないのならマックでも吉野家でも同じなのだが、宿泊代に込みなので仕方がない。食べ終えて、チェックアウトの頃に雨が降り出した。梅雨時なのだから、仕方がない。
新幹線に乗る前に、仙石線ホームを冷やかしに行く。跨線橋から見える駅東口の光景は、ぼくの見慣れたものとはまったく異なっていた。かつては郷愁感あふれる仙石線ホームが見られたのだ。新しい仙石線の仙台駅に新しい電車が入ってくる。こんなの仙石線じゃないと思うぼくは明らかに老いつつあるのだろう。新幹線ホームに上がってすぐに八戸行・秋田行の新幹線がやって来た。仙台から2時間かからずに八戸に着いてしまう。いまはそういう時代なのだ。
しかし、いくら新幹線が来て便利になろうとも八戸駅が街のどっぱずれのさらにはずれにあることに違いはない。なにせかつては八戸駅ではなかった====ThisIsTheErrorMessege====のだから。八戸線に乗り換えて、本八戸へ。後ろの座席には20歳前くらいのカップルがいたが、2人の会話を聞いていてわかったのは「*曜日」という部分だけだった。東北弁の奥は深すぎる。本八戸は高架駅だった。

ここは中心街に一番近い駅、のはず。強い雨の降る中、坂道を数分上って中心街。六日町のバス停でようやく軽米行の表示を見つけた。八戸の市街バスはよそ者にはわからなすぎる。中心街と鉄道駅がリンクしていないので、どこかの駅前にいればバスはやって来るという構造になっていないのだ。八戸をベースに活動するマニアさんは、観光客にもわかりやすい八戸市街バスガイドサイトを作ればかなりのアクセスが期待できると思うのだけど。軽米行バスには10人くらいの乗客がいたが、だいたい南郷村で降りてしまった。県境を越えて軽米まで乗った客はぼくを含めて2名。
岩手県の北端・軽米町にはかつて国鉄バスの駅があって乗車券も発売していたのだけど、現在は駅は廃止、県北バスもほぼ撤退、実に寂れた街になりつつある。軽米仲町でバスを降りたぼくは昼食を手配しようと食料品店を探したのだけど、地元向けスーパーを見つけるまでに自家用車は30台以上見たものの街を歩いているひとは1人しか見なかったのだ。公共交通機関がアテに出来ないのも無理ないのかもしれない。スーパーで弁当などを買い、ハートフルスポーツランドの場所を尋ねる。歩いて行くのは厳しいと言われたが、時間はあるので歩くことにした。市街地から急な坂道を荷物転がして歩くこと40分。ようやく会場に着いた。確かに歩いて行くのは厳しい。
多目的広場と書いてあるが、ピッチの周囲にクレーのトラックがあり、要するに陸上競技場。スタンドはなく、降ったり止んだりの雨を気にしながらの観戦になった。観戦にはまったく不向きであるけど、ピッチに剥げた部分もなく、選手には問題ないだろう。

試合は、どう視ても北都銀行の方がピッチを広く使ったいいサッカーをしていたのだけど、最初のチャンスに左からのクロスをヘッドで合わせて陸自八戸が先制。これで多少は面白くなるかと思ったのだけど、やはり自力の差は徐々に明らかになってしまい、結局は4-1で北都銀行の勝ち。誠に妥当なスコアだと思えた。観客はぼくを含めて4名。ひとりは地元の親父さんで、あとは20代後半くらいのカップルだった。
帰りのバスの時間もあるのでダッシュで会場を後にする。バスの発車まで35分。上り坂で40分だったから、頑張って歩けば大丈夫だ。すると、途中でクルマが通りがかり、街まで乗せてもらえることになった。乗せてくださったのは軽米町のサッカー関係者の方で、何故八戸のチームが県を越えて軽米でホームゲームを行うのか教えてくれた。やはり陸上競技とのスケジュールの兼ね合いでピッチの確保に苦労しているらしい。しかし、軽米のピッチを「状態が悪いところで」とおっしゃるのにはびっくりしてしまった。あのピッチを「悪い状態」なんて言ったら、剥げきった芝で行われている東海リーグはどうなってしまうのだろう。

仲町まで乗せてもらえたのでバスの発車まで20分以上の余裕が出来たけど、その間に街を歩く人間は2人しか見なかった。軽米はそういう街なのだ。グルージャ====ThisIsTheErrorMessege====のポスターが貼ってあって驚いた。有害指定萌え萌えからメールが来て、鳥栖が川崎に勝ったと知ってまた驚く。やって来たバスでうとうとしながら八戸市街地まで戻り、市営バスに乗り継いでJR八戸駅へ。特急の発車まで少し時間があるので海とろろそばを食べた。



函館行特急は指定を取っておいたので時間ギリギリでも大丈夫だ。この車内でもうとうとしてたら青森に着いてしまった。青森駅では向かいのホームにブルートレインが止まっていた。寝台特急「あけぼの」。ぼくが生まれて初めて乗った寝台列車だ。当時は「ゆうづる」「はくつる」と数多くの寝台特急があった。東京から青森は寝台列車で行くところだったのだ。現在、最速の乗り継ぎでは4時間を切っている。時代は移りゆく。かつて、長距離列車が到着するとダッシュで乗客達が走る光景が見られた連絡船桟橋への跨線橋は撤去工事が始まっていた。

そういう時代に、いまでも「あけぼの」は東京と青森を一晩かけて結んでいる。たとえ、その目的が東京と青森を結ぶではないとしても、その事実は変わらない。夜汽車の見送り風景に接したりすると、感慨深い。
ぼくは「あけぼの」の出発を見送ると、五能線直通の深浦行快速に乗った。予想していたより乗客はまばら。ディーゼルエンジンを唸らせて、川部に到着。ここで、五能線から来た弘前行に乗り継ぐ。弘前駅には、津軽在住のコジコジマニア、当サイトではおなじみのじゃからん嬢が待っていた。

とりあえず駅前のホテルにチェックインして、繁華街からちょっとはずれたところにある居酒屋『土紋』へ行く。ここには津軽の地酒“豊盃”が置いてある。彼女はそれほど酒が強いわけじゃないそうだが、ぼくの希望で店を探しておいてくれたのだ。最初は軽くビールで、それから速やかに“豊盃”に移行。ちょっと甘口かな?クセのない酒で、すっきりといける。ぼくの好みは『純米しぼりたて』。フルーティな味わいで、彼女もちょっと驚いていた。
しかし、驚いたのは出てきた料理だ。卵焼きも肉野菜炒めも、味付けが甘い!甘め、というのではない。明確に甘いのだ。これはこの店の特徴ではなくて「津軽ではもてなし料理には基本的に砂糖が入っている」のだそうだ。かつては北国では砂糖が貴重品だったその名残ではないか、とはじゃからん嬢。卵焼きは一種の菓子だと思えばいいのだけれど、肉野菜炒めが甘いってのは、ちょっと衝撃的。
サッカーの濃い話とかも弾んで、気づいたらぼくは5合も呑んでしまっていた。「いい酒は朝が知っている」====ThisIsTheErrorMessege====ということだけど、ぼくは近年急激にアルコール分解能力が喪われている。明日は大丈夫かな。彼女も2合くらい呑んだだろうか、いい気分になって帰っていった。ぼくはホテル前のラーメン屋で締めのラーメンを食べて、部屋に戻ってそのまま轟沈。

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