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travelnotes : domestic
函館~仙台(3)
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日曜の朝。ホテルでキチンとした朝飯を食べ、せっかくなのでJRバス東北を狙い打ちして青森駅へ。時刻表からは消えてしまったが、青森=浅虫温泉を中心に細々と営業中。でも全国規模で展開中のJR路線バス縮小の波をここも受けることだろう。現時点で既に市営バスと共同運行路線なのだし。やって来たのは前1扉の観光車で驚いてしまった。青森駅前のターミナルでは、仙台行高速バスに15人ほどの行列。ここにも都市間輸送高速バス化の波が来ているのだ。そんな中にやってきた十鉄バス====ThisIsTheErrorMessege====が実にボロボロのバスで不謹慎ながら喜んでしまった。
駅に入り、スーパーはつかりの自由席を押さえてホームに出る。本来ならまず使われることのないホームの北端に跨線橋がある。現在はただのホーム乗り換え用だが、もちろんこれはかつての連絡船桟橋を結んでいたものだ。アタマの中でものすごいスピードで記憶が渦を巻き始める。かつては、青森駅に着くと同時にこの跨線橋を目指して走ったのだ。とてもいい天気のポカポカ陽気の休日の午前8時、にもかかわらず、やはり浮かんで来るのは津軽海峡冬景色の一節。何とでも言え、ぼくはそういう世代なのだ。

スーパーはつかりの座席はなかなかゆったりしていて、快適に盛岡に向かうことが出来た。野辺地では南部縦貫鉄道のホーム跡を確認できた。東北線と併走する部分ではレールも残っていた。こんな所と言っては失礼かも知れないが、やはりこの人口で鉄道会社を維持していたなんて、正気の沙汰ではない。八戸では新幹線ホームがだいぶ出来上がっていた。新庄延伸にも驚いたが、全規格の新幹線を八戸まで延ばすというのも、残念ながら正気の沙汰とは思えない。便利になるのはわかる。でも、その便利さがコストに見合うとはどうしても思えないのだけど。だいたいなんだって沼宮内に新幹線の駅が必要なのだ。いまぼくが通っている東北線はおそらく第3セクターになってJR貨物の通過収入で食べていく会社になるのだろう。
盛岡からは新幹線。こまち車両の方が座席がいいのは承知していたが、自由席なので確実に座れるやまびこ車両へ。スーパーはつかりより座席が狭い。しかしやはり早いね。1時間程度で仙台に着いた。繰り返すが、新幹線を全否定しているわけではない。便利になるのは認める。でも、この世の中で果たして供給が需要を作り出せるのだろうか。

仙台に行くといつも立ち寄る焼肉屋で冷麺を食べ、満足状態で泉中央に向かう。立ち客も多い車内がそわそわした感じを受けるのは気のせいか。いまの仙台にはJリーグ黎明期の原風景があるという言説を読んだことがあるが、なんか違うような気がする。泉中央駅を出ると、例によって自由席入場待ちの列がイトーヨーカドーの奥までつながっていた。供給が需要を作り出したのだ。ぼくはS席のチケを持っているので列を無視して中へ。niftyの濃い面々と落ち合う。「鋳造さん、それどこのユニ?」ぼくは「べ」のユニを持ってないので、色が同じゴールド&ブルーの香港リーグ・晨曦のユニを着ていったのだ。しかし見事にスタンドは山吹色だ。メディアは黄色と書くしコアなサポはゴールドだと主張するだろうけど、どっちも違うような気がする。あのブランメルがねえ。隔世の念を禁じ得ない。
さて東京戦。原さんになってから初めての観戦だけど、おおそう来るかと驚きの連続。両ウィングが高い高い。アマラオにDFライン止めさせておいて戸田がガンガンすり抜けていく。戸田じゃなくてコバだったら1点や2点は入ったんじゃないか。しかしこのサッカーで90分走れたら大したモンだと思ってたらやはり後半になって運動量が落ちてしまい、戸田に代えてゆっきーを出したところで原さんのサッカーは出来なくなってしまったような。ゆっきーは槍じゃないからね。「べ」は山下が勝負強さを見せつけて終わってみれば3-1。山下のターン→加速の速さは大したものです。スタメンは無理だろうけど代表でもベンチに置いておく価値はあると思うけどなあ。試合終了後になんとなんと「べ」サポとTGサポの間でエール交換があったとか。いやあ時代は変わりました====ThisIsTheErrorMessege====なあ。ホント、隔世の念を禁じ得ない。
飛行機の時間まで余裕がないので、飛行機マニアたろう君と仙台駅まで出て、彼はそこから空港バスで、ぼくは土産などを買ってJR館腰駅経由で。空港ではフェネルバフチェ====ThisIsTheErrorMessege====のTシャツ着た兄ちゃんがいた。福岡行の飛行機に乗っていったから、山下を観に来たのかな。仙台での彼の活躍をどう見たのだろう。嬉しさと悔しさと。それが2部の現実でもある。自宅に帰り着いたのは夜の10時半過ぎだった。

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