吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2006/06/20◆月日は百代の過客にして………
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土曜は当直だったのだけど、出発前にポストを覗くと盟友・遠森慶氏の個人誌が届いていた。電車の中や、当直勤務中の空き時間とかで読んだ。こんなの送られたら日本対クロアチアがどうだかとかまったく書く気にならない。


いわゆる「マンガ同人誌」である。ぼくは「同人誌」が「マンガ同人誌の略」だなんてこれっぽっちも思っていない。思っていないのは一応「マンガでない同人誌」を4冊出したことがあるからなのだが。だからちゃんと「マンガ同人誌」と書く。遠森氏はかつては違う名で鉄道をモチーフにしたマンガ同人誌を10冊前後出していた。このテーマで活動する個人・サークルは現在でも多いだろうが、彼は始祖の一翼のはず。しかし、デビュー当時のYMOが国内外の幾多のテクノポップ・ユニットと決定的に違ったように、彼の作品群も他とは決定的に違った。YMOとその他の差を生み出したのは高橋幸宏のスネアードラムであり、遠森作品群とその他との差を生み出したのは、既存のアニメキャラやゲームキャラを参考にしていない画風にある。そんな彼の表現は、「マンガ同人誌」を『パロディ』の視点からしか視れない「同人誌世界のひとびと」には受け入れられないかもしれない。


今回の個人誌『臨界』には3作品が掲載されている。

1.百代過客
かつて氏が発行していたマンガ同人誌で連載していて未完のままだった『新・奥の細道』の20年ぶりだかの掲載にして最終回。ぼくも、自身が出していた旅行系同人誌で「やります」と言ったまま放置している企画がいくつかあるので胸が痛む。もう無理だろな。
タイトルの「百代過客」は、もちろん、オリジナル『奥の細道』の冒頭「月日は百代の過客にしてゆきかう年もまた旅人なり」から来ている。連載中の主人公カップル・松場翔と河合空子…ってこの段階で“奥の細道”であるのだが、とにかく2人は結婚して2児を設け、その子供たちが今回の話のエンジン。となると、軽シンスプラウトと同じじゃねーかということになるのだが、まあ物語についてはこれから読む方々のために書かない。というか、実は書く意味がないというくらい、物語の構成に無理がある。言ってしまえば、自主制作臭プンプンの“同人誌ノリ”。こいつ、わざとこうしたんじゃないか?とすら思える。これで「新奥の最終回です」と言われてしまうと、かつて同作品に入れ込んだ者としては少々辛いものがある。のではあるのだが、しかし。

2.電鉄奥の細道
遠森同人誌の前期が「百代過客」のような『マンガ』作品であるなら、後期はこの作品のような『イラスト+文章』の体裁を取っていた。こちらにも内輪ウケが少々散らしてあって“同人誌ノリ”。小作品であるが、トーンを使わない手書きイラストの味わいが深い。登場人物はかなり薄めに描かれているが、それでもトーンぺたぺたマンガの世代にはちょっと重く映るかもしれない。

3.お花見日記
読み終えて、というか最後の方になって『そう来るか。』と呟かざるを得なかった。小作品風の軽いタイトルにだまされてはいけない。友人の作品を持ち上げるというのはあまり美しくないのかもしれないが、これは同人時代に遡っていまのいままでの遠森作品の集大成であり最高傑作であると断言したい。画風、そこここに散らした伏線を含めた構成、物語文章のすべてに文句を付けるところがない。思いっきり風呂敷広げて読後感を喩えれば、文学では橋本治“桃尻娘”シリーズ最終巻『雨の温州蜜柑姫』の最終章を読み終えた時と同じで、音楽ではビートルズ『アビイ・ロード』を聴き終えた時と同じ。それはあまりに爽やかな“終了”感だ。作者は「百代過客」を「“新・奥の細道”の最終回として書いた」と記しているが、ぼくにはこの「お花見日記」が『同人作家・遠森慶』の最終回なのではないかという気すらしている。


かつて「旅行風同人誌」を共同で出していた仲間である佐藤淳一画伯====ThisIsTheErrorMessege====の活躍を見たり、今回の遠森氏の作品を読んだりすると、ぼくはいまではサッカーと旅日記を書き散らかすだけの萎びたサラリーマンになっているけれど、かつては彼らと一緒に、これまた大風呂敷を広げれば“表現”と呼べるフィールドにとりあえず足を置いていたのだと自分のことが少しだけ誇らしく思え、その“少し”と対極の分だけ寂しくも思えるのだ。

マンガ同人誌「臨界」に興味を持たれた方、購入ご希望の方はここ====ThisIsTheErrorMessege====から作者のサイトに行ってください。

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