吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2006/02/25◆テレビの前の視線、競技者側の視座
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トリノも明日で終わり。今回はなんか会期が長く感じたんだけど、皆さんはいかがでしたか。Xゲーム系が増えていくのは仕方ないのかな。ショートトラックもそうなんだけど、“LUCK”の要素が多い競技は観る分には愉しいけど、オリンピックには、どうなんだろう。すみませんね旧世代で。


さて、インスブルック以来の大惨事をなんとか回避できて、競技団体関係者は胸をなで下ろしていることかと。荒川静香の金メダルを受けて岐阜駅前には新聞社の「特報・荒川が『金』」との貼り紙がどだだだだっと並んで貼られていて、その光景は共産圏プロパガンダ的な印象さえ受けてしまった。

競技順が影響したのだろうな、などと外野は思ってしまう。サーシャ・コーエンの2回の転倒を受けてメダル獲得の基準点が出来たこと、荒川の滑りは「ここまででいい」となったら安定度は随一だと思うのでバクチを打つ必要がなくなったこと。で、荒川の高得点を受けてスルツカヤには基準点の上昇がプレッシャーになったこと。しかし、昨夜の夜の報道によると荒川はコーエンの演技中はヘッドフォンをつけて周囲の音が一切入らないようにしていた、だからコーエンの演技も得点もまったく知らなかったとのこと。あらら。
テレビ中継では、荒川が暫定首位に立った時点で刈谷アナ氏が「これで日本選手のメダルが確定しました!」と言ったのに興ざめ。解説の佐藤有香氏が冷静に技術的・採点的な評をしていたのはよかったと思った。もっとも、これだってテレビ視聴者的視点でしかない。

こうした、ぼくのようなテレビ視聴者的視点の大多数の国民からの「競技とは次元の違うプレッシャー」から距離が置けた、という意味では安藤美姫という選手の存在は大きかったのではないか。安藤が興味含有率95%の視線を集めたがゆえの荒川の快挙。GI「トリノステークス」に同じ馬主・同じ厩舎が3頭出したようなもので、とりあえずアンドウミキ号にはテレビ馬になっていただいて、直線に入ったら本命馬の末足勝負、と。そうそう、オリンピックが始まる前はまおちゃんが出る/出ないで大騒ぎだったんだよなあ。


ところで、ジャンプにしても「フリップとトゥループとそれ以外」としか区別できないぼくと違って、weblogで「フィギュアスケート通」と表記したじゃからん嬢は、“通”というよりは末席ながら“なんちゃって現役競技者”である。最初は「フィギュア通」と書いたんだけど、ソルトレークの頃と違ってトリノの現在では別の意味になってしまうから困ったものだ。

ま、とにかく彼女はぼくとは視線というか視座が違う。スルツカヤの最終演技にしても、ぼくなんかはコケる前は「こりゃあ勝てん、荒川は2位だ」ってんで携帯電話で予定稿まで打ち始めたのだけど、成功したと見える最初のジャンプの段階で彼女は「こんな不安定なスルツカヤは初めて視る」と思っていたのだそうだ。安藤美姫の演技にしても、4回転着地失敗とその後の演技の壊れ方はまったく別の性格のものなのだそうだ。ギリギリのセルフコントロールの中の4分間。スケートといえば小学6年生の時に初めて氷の上に乗り、進む方向さえ制御できずに当時好きだった女の子の方に真っ直ぐに進んでいって悲鳴とともに突き飛ばされて彫刻級のトラウマを彫り込まれたぼくには、頷くほかにない。
他にも、ぼくらのサッカー観戦のように「あぁ逆サイドフリーなのになんでパス出さないかなあ」などとブツクサ言うタイプは現地鑑賞には向かないとか、前記の解説・佐藤氏が安藤を厳しく表した理由====ThisIsTheErrorMessege====とか、競技者側の視線は、観戦者・鑑賞者側からは新鮮に映る。頷くほかにない。

まあ、そんなぼくでも素直に頷けないのは、荒川のイナバウアーを評して彼女が「あたしにも出来そう」と言ったことだ。おおそうか、やってみろってんだ。65536歩譲ってあの状態が作り出せたとして、そのまま3秒間滑ってみろ。そこから上体起こしてもとに戻ってみろってんだ。すっごい背筋力が要ると思うぞ、あれは。


トリノが終わればすぐにJのシーズンが始まる。今日はスーパーカップの日でもあるのだけど、ぼくは出掛けてしまうのであるな。続きは次の雑文で。

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