cyic.co.uk 吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2005/12/06◆ぼくは決勝ラウンドには行かなかった
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それはずっとずっと前のことだ。
地球がいまより少しは冷たかった頃のことだ。
そして、Jリーグに2部なんてものがなかった頃のことだ。

その頃のJFLも、いまのJFLと同じように、上を目指すクラブ、企業のクラブ、学生のクラブがごちゃごちゃと雑居してリーグ戦を行っていた。いまよりは少しだけ、企業のクラブが元気だった。
ぼくの住む東海地区には4つのクラブが所属していた。静岡にはいまも頑張る本田技研、三重にはコスモ四日市、岐阜には西濃運輸、そして愛知に日本電装。一番の後発組だ。そしてぼくは、当時全盛だった『パソコン通信』NiftyServeのサッカーフォーラムで、西濃運輸と日本電装の会議室の運営スタッフだった。

毎年のようにというか本当に毎年通っている『地域リーグ決勝大会』。初めて観戦に訪れたのは北九州の本城陸上競技場。ブランメル仙台====ThisIsTheErrorMessege====を観に行ったのだ。いまでは当たり前の「自分の街の社会人クラブを強くしてJを目指す」というプランを初めて現実化したのがブランメルだった、はずだ。だから話題になった。話題優先だった。ぼくは元仙台市民であり、だから興味があって観に行った。ブランメルの試合は第2試合で、第1試合は香川紫雲クラブと日本電装の試合だった。ぼくが初めて観た『地域決勝』は実は電装戦だったのだ。


今年の地域決勝は、決勝ラウンドが始まる前に愛媛FCの2位以内が決まってJFLが1チーム減になる====ThisIsTheErrorMessege====ことがほぼ確実な情勢だった。これは地域決勝から3チームがJFLに上がれる====ThisIsTheErrorMessege====ことを意味する。そんな状況だから1チーム結果が出せないところが出来ると最終日が消化試合になってしまうという危惧があった。

毎年地域決勝に集うぼくの仲間達には「かなり遅めの新年会&ちょっと早めの忘年会」を兼ねて焼肉パーティーを開くという風習がある。ぼくは第1土曜は出勤なので焼肉パーティー参加+決勝R第3日観戦のために新幹線で岡山に向かう途中で、その危惧していた結末がぼくを迎えてくれることを知った。第2日を終えて3位の千葉アマと4位の神戸鎌鎚====ThisIsTheErrorMessege====とはすでに勝ち点3+得失点差6の差が出来た。最終日が直接対決なわけでもなし、この差があと1試合で埋まる可能性はかなり非現実的だった。焼肉パーティーは参加したい。でも、未観戦ピッチでもない桃太郎====ThisIsTheErrorMessege====で消化試合を観る意義がだいぶ薄れていた。ぼくは岡山に着くと同時にみどりの窓口で明日の松山までのバスルートを探した。岡山→松山のバスは満席だったが、松山→神戸のバスは確保出来た。

パーティー会場で「明日の予定です」と言って松山→神戸のバス乗車券を見せた。参加者はみな、なぜぼくがそのような行動を取るのか一瞬では理解出来ないようだった。

「明日は砥部に行きます」
「・・・ああ、愛媛か」
「“電装”の最終戦ですから」

「なるほどそっちか。そりゃ行かなきゃね」
みんなわかってくれた。


ぼくは翌朝、ホテルに予約していた朝食を放棄して、6時過ぎに岡山を出る電車に乗った。坂出駅でうどんを食べ、金蔵寺駅から歩いて、善通寺バス停から松山IC口までバスに乗った。わざわざバスにしたのはただ安いからではなく、松山市内からIC付近までは恒常的に渋滞するからだ。
善通寺ではかなり重めの曇り空だったが、車内で一眠りして新居浜あたりで小松あたりで目覚めたら雲一つない晴天だった。アタマの中で「我々はイスカンダルじゃなくてガミラスに来てしまったのではないか?」なるヤマトのセリフを思い出してしまったが、ぼくのバスはちゃんと松山行だった。天気予報では崩れる見込みだったけど、なあんだこれなら早く会場入りして屋根の下を抑える必要なんてないじゃん。だとするなら早く着き過ぎだ。高速バスを降りたのは10時。IC口近くのP屋でコナンのボロ負けを一気に回収し、ウハウハ気分で1時間後に外に出たら善通寺の時よりも深い曇り空だった。気象庁さん疑ったりしてごめんなさい。バスで砥部に急ぐ。
砥部陸上では入場が始まったところだった。メイン入口は大行列。これじゃあ屋根下の確保はもはや困難。だったら電装武装組の近くで観戦した方がいいとバックスタンド側に回って気づいた。ここ、そもそも屋根なんてないじゃん。急ぐことなんてなかったのだ。

電装武装組は多く数えて10名。戦力としてはあまりに貧弱。コーナー付近の1ブロックを武装エリアとして抑えてあるだけで、しかもそれで十分過ぎるエリアがある。片やJFLを優勝で離れようとするクラブ、片や継承はされるもののいまの運営組織では最後の試合となるクラブ。こちらにも取材とおぼしき方が2人ほどいらっしゃった。ぼくも声を掛けられたが、西濃の時と違っていまのぼくは電装の現状と今後について語れる立場にない。
場内ではどんどん悪化の傾向をたどる天候に負けじと放送が煽る。「さあ皆さん、JFL優勝までカウントダウン1!」「歴史の証人になりましょう!」ぼくの中で何がのネジがはずれて飛んだ。なるほど、前日の長居に集まったガスサポ====ThisIsTheErrorMessege====はこんな気分だったに違いない。よろしい、そのケンカ買おうじゃないか。電装だって空気読まないからね。いつものまったり観戦モードから武装エリアに入っての応援モードにチェンジ。
バックスタンドはどんどん観客で埋まっていく。“何も知らない”家族連れが武装エリアに入ってくるたびに「ここはデンソーの応援席ですがよろしいですか」と声を掛けて着席を遠慮していただく。それでも着席した家族連れには「この席でオレンジの紙テープの投げ入れとかは控えていただけませんか」と申し上げて席を離れていただいた。
J2の他チームサポの皆さん、愛媛にはサッカー観戦に関する“マナー”を知らない方がまだ多いです。砥部遠征の際には武装エリアは強固に防御してください。
試合開始30分前になると雲は黒くなって稲妻まで見えるようになる。そして降り出した霰。場内放送でも「安全な場所に避難してください」との放送が入る。試合開始には最悪の天候は過ぎ去ったが、それでも冷たく強い風が容赦なく吹き付ける中で試合は始まった。


前半はスコアレス。でも、こりゃあいつかは破られるなという感じではあった。電装もときどきはゴール前に迫れるチャンスはあった。しかしそれは「出来た」ものであって「作った」ものではない。電装サポからは「もっと簡単に!」「ああ、なんでそんなむずかしい所にばっか出すかなあ」とのグチが出るが、愛媛とのゲームメーキングの差は明白であり、いつかは破られるゴールは後半開始すぐに破られた。ぼくら多くて10人の武装組は声を枯らして後押しをしたが、残念だけど2点差ついた段階で試合結果は見えた。あとは意地を見せられるかなのだが、意地は見せた。しかしそれは現地にいた観戦者だけが知りうる意地であり、試合記録に残る意地ではなかった。シュート数:14対8。ゴール数:2対0。まあ、端的に言えば完敗だ。

試合が終わって、電装の選手達がやって来る。一列に並んで、一礼をして、メインスタンドに戻っていく。ぼくらから視て一番左のヤナさん====ThisIsTheErrorMessege====はずいぶん白髪が増えた。
選手全員がメインスタンドの中に入って見えなくなるまでぼくらはコールした。「デンソー、カリヤ!」どんどんどんどん。しかし、ぼくは途中で声が出なくなってしまった。ぼくは鴨池でコスモ四日市の最期を視た。大垣浅中で西濃の最期を視た。そして砥部で、継承はされるものの“デンソー”の最期を視ている。涙が止まらなくなってしまったのだ。
でも、泣くわけにはいかなかった。ぼくは電装の観戦という視点では、いまここに集う武装組より古参の可能性が高い。でも、彼らはぼくよりずっと、ずっとずっとつらい思いのはずだ。その彼らが叫び続けている中で、ぼくが泣くわけにはいかなかった。
やがて、愛媛サポからも電装コールが飛んできた。ありがとう。愛媛コールでお返し。太鼓リーダーが「いつかそっち行くから待ってろよ!」と叫んだ。FC刈谷はどうなるのか、まだわからない部分が多い。監督も決まっていないそうだ。上を目指すより以前に、続けていけるのかどうか。それでも、ぼくらは前を向かなければならない。サッカーの試合と同じで、前を向かないとゴールは、勝利は得られないからだ。先に進めないからだ。


試合中に桃太郎の結果はメールで入ってきた。ロッソが最終戦で負けて3位に終わったらしい。現地組は貴重なものを視たとの思いがあるかもしれない。それでも、ぼくにまったく悔いはない。砥部に来てよかった。

愛媛は5日の理事会でJ参入が認められた。ロッソのJFL昇格も認められるだろう。ならば、FC刈谷は、来年のシーズンで「そう簡単には越えられない壁」として迎え撃とう。かつて、大分トリニティを抑えて1位で地域決勝を通過した、日本電装を継ぐものとして。

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