吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2004/03/13◆アルビ新潟と天敵選手の、次のステージ。
 home  index  prev next 

2004年、JFL公式サイト====ThisIsTheErrorMessege====が公開された。登録各選手の一覧もあって実にありがたいものだ。そして、とあるチームのとある選手の名前がリストから消えていた。


ぼくとアルビレックスの最初の接点は1996年3月、当時はまだアルビレオだった。宮城陸上にブランメル仙台====ThisIsTheErrorMessege====を観に行くのに、急行「きたぐに」====ThisIsTheErrorMessege====に乗って新潟まで行ったのだ。駅の南側の小さなビルの小さな1室がアルビの事務所だった。なんのアポイントメントもなく訪れたのだけど、偶然に事務所にはスタッフがいて、アルビレオのL旗を買い、アルビレオ・アシストなる広報パンフをもらうことになる。

初めての観戦はその年の7月だ。曇り空の富山岩瀬サッカー場。北信越リーグで強豪の名を轟かせていたYKK相手に0-1の勝利。、いまにも脱ぎ出してしまいそうな====ThisIsTheErrorMessege====YKK応援団の3人のブラジル娘が強烈な印象を残してくれたが、もう一つの印象はわざわざ富山までやって来たアルビサポの一人が「富山に勝ったぁーっ!」と涙を流していたこと。この頃の新潟は、まだこのあたりを戦いの場としていた。

一月後、ぼくは古河サッカー場でアルビレオの専務さんと名刺交換をする。観客もほとんどいない、関東リーグのプリマハム土浦====ThisIsTheErrorMessege====とルミノッソ狭山の試合。どう考えても地域決勝を踏まえての偵察だ。結局、偵察の甲斐あってアルビレオとプリマ土浦は地域決勝の予選グループで激突するのだけど、偵察の甲斐なくアルビレオは大勢のサポの前でPK戦で散った。====ThisIsTheErrorMessege====


翌シーズン。アルビレオはアルビレックスとなったが再び北信越リーグ。次に会ったのは松本広域公園球技場、と言ってもアルウィンではない。少し離れたところにある、ただの芝生広場だ。ここでぼくはアルビサポの若い夫婦と知り合うことになる。松本広域まで観戦応援に来るのだから、かなりの筋金入りだ。二人ともオレンジ色のグッズで身を固めている。彼らとは同じ月に行われた最終節、アローズ北陸との決戦の場・白山陸上でも会った。記憶が確かならば引き分けでもアルビの北信越リーグ優勝=地域決勝出場のはずだったが、この夫婦は怯えていた。アローズには「アルビの天敵がいる」というのだ。なんでも、前シーズンの直接対決でその天敵にFKを2発叩き込まれたのだという。試合が始まり、アルビが2点をリードした局面でも彼らは怯えていた。そして、彼らの言う『天敵』油谷秀隆がピッチに送り込まれる。

「出たぁぁぁぁぁっ!」と彼らは叫んだ。もののけかね、彼は。しかし、その油谷がこの試合でもFKを直接放り込んで1点差にしてしまうのだから、彼らのパニックもさもありなん。しかし、結局は1点差を守り切ってアルビは北信越リーグで優勝した。試合会場には数多くの風船が飛び交い、「さあ、JFLへ行こう!」と場内は盛り上がっていた。


これがぼくの、黎明期のアルビの思い出だ。あれから7年経った。ついに頂点での戦いに挑むアルビレックス。開幕戦の相手がTGだってのは「謀ったな!はかったなJリーグ!」====ThisIsTheErrorMessege====という感じ。そして、同じ年に油谷秀隆の名前がアローズ北陸のリストから消えた。これまでとは打って変わった補強体制で新シーズンに臨むアローズ北陸。アルビもアローズも、そして油谷選手も、次のステージに進んだのだ。チームが続く限り、物語も続いていく。アルビがこれからどうなるか、アローズがどうなるか、わからない。わからないけれど、ぼくらはこうして続いていく物語を楽しみたい。今日が開幕だ。アルビはどんな戦いをするのか。

 top  prev next