cyic.co.uk 吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2003/10/05◆ユベントスの消息。
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時として地方新聞のスポーツ欄はネタの宝庫と化す。シーズン終了後のある時期に、サッカー県リーグの成績などが載るからだ。ぼくがユベントスじゃなかった『ユベン鳥栖』というチームの存在を知ったのも、佐賀新聞のスポーツ欄だったと記憶する。県リーグ2部で最下位にリストされていた。どう考えても翌シーズンは3部降格だろう。

ネットでは、昨今のサガン鳥栖の不振に「名前を『ユベン鳥栖』に変えないと強くなれないぜ」なんて冷やかしのコメントを時たま目にすることがあるが、『ユベン鳥栖』は実在していたのだから失礼にも程がある。ここで「していた」と過去形で表記したのは、その佐賀新聞の記事が、ぼくが『ユベン鳥栖』について接することが出来た唯一の資料であり、その後の消息がまったくわからなかったからだ。3部あるいはその下でくすぶっているのか、存在するかもわからない。ところが。


ある日、ぼくのもとに電子メールが届いた。差出人はイニシャルでSK氏としておこう。

「ぼくは『ユベン鳥栖』の立ち上げのメンバーの1人です。」

ななななななななななんとでございましょう!これで謎に充ちた?『ユベン鳥栖』の正体がすべて明らかになる!SK氏の快諾を得て、名前だけは間違いなくワールドワイドなクラブの歴史を紹介しよう。


『ユベン鳥栖』の創設は平成5年。部活を引退した鳥栖高校サッカー部の何名かとその友人達によって結成された。佐賀県リーグには平成7年から所属し、最高カテゴリーは佐賀県リーグ2部。しかし昇格1年目で3部に降格。降格後はメンバーも何人か入れ替わり、トヨタチャレンジカップ佐賀県予選で優勝。沖縄での九州大会に出場したが1回戦で敗退した。
創設メンバーは平成10年のシーズンでほぼいなくなり、運営を鳥栖高サッカー部出身者が行うことになった関係で『鳥栖高OB会』と合併して『ユベン鳥栖』は消滅。その後、『鳥栖高OB会』にサガン鳥栖ユース卒の選手が加わり、鳥栖高校のOBもいなくなったことからチームを譲り、『バレンティアfcフィーゴ』として県リーグ2部で活動を続けるが、諸事情により昨年解散した。かくして、『ユベン鳥栖』の血脈は途絶えたことになる。


ところがどっこい、『ユベン鳥栖』は生きていた。というか、息を吹き返した。創設当時のメンバーが集まってフットサルチームとして再び活動を開始したのだ。とは言え、公式大会に参加する予定はないそうだが。それと、創設当時の主力の1人はアフリカで草サッカーを楽しんでいるとか。みんな、サッカーを捨てられないのね。

ちなみに県リーグで活動中の頃の『ユベン鳥栖』のユニだが、なんと黒白の縦縞ではなく赤黒の縦縞だったそうである。それじゃあACミランではないか。もしかしたら、わざわざ赤黒を選んだのも「あくまで鳥栖のクラブだから『ユベン鳥栖』なのだ。ユベントスに憧れたからではない」という自己主張の現われなのかもしれない。なんて書くと、SK氏やその仲間からは「そんな偉そうな理由じゃないぜ」と笑われるかもしれない。SK氏によると、「サガン鳥栖という名前はユベントスではなく『ユベン鳥栖』の影響を受けている」のだとか。なかなか楽しい主張ではないか。

ACミランと言えば、現在京都府では『ACミラソ』という同じくらいの怪しさを持つ名前のクラブが活動中らしい。こちらのユニは青黒の縦縞だったりしてね。


いつだったか忘れたけど、鹿児島市内と歩いていたぼくは南日本新聞社の本社前を通りかかった。その日の朝刊を掲示しているのはどこの新聞社も同じかもしれない。スポーツ欄に鹿児島県リーグの年間成績を見つけた。どのカテゴリーだかは忘れたけど『菱刈鉱山FC』というチームがあったのを憶えている。日本有数の金山である菱刈鉱山で働くヤマの男達も、ボールを追っているのだ。数年前にフランスリーグを制したRCランス====ThisIsTheErrorMessege====も、もともとは炭鉱労働者のクラブだったはずである。

時として地方新聞のスポーツ欄はネタの宝庫と化す。要注意。

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