吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2003/09/13◆101回目の神経衰弱
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例によって病院のカウンターでバタバタと働いていたので、少し離れたところでぼくの方を見ている女性の存在には正直言ってまったく気づかなかった。ようやく手が空いた時、「忙しそうじゃん」とフランクな話し方で彼女は声を掛けてきた。


おそらく、彼女に会うのは15年ぶりくらい、声を聞くのも同じくらい昔。だから一瞬「誰だっけ?」と思ったのは事実。次の瞬間には彼女が誰だかわかり、そしてカラダの制御機能に異変が生じた。「おばさんになったでしょう」と彼女は言った。ぼくには15年前とほとんど変わってないように見えた。でも、うまく言葉を発することが出来ない。「そんなことないんじゃない?」ぼくは必死になって言語中枢を動かしてなんとか言葉を出した。「うそうそ、目が『おばさんになった』って言ってる」と彼女は笑う。話が出来たのは30秒か40秒ほど。来客があったので彼女はきちんと礼をして去っていった。それから約10分間、ぼくの心臓は異常なリズムを刻みつづけた。そしてアタマの中ではサエキけんぞうの声がずっと反復していた。

ディスコドーム ディスコドーム 15センチ宙に浮いて
ディスコドーム ディスコドーム 15年も過ぎたように

いざ自分の問題となると情けないものだ。過去はそう簡単には対象化できない。ところでこの歌、なんてタイトルだったっけ。


いま思い返すと、ぼくにとってあの頃が『結婚』に一番近い時間帯だった。ぼくとゴールの間には一人のDFもいなかった。もしかしたらGKさえいなかったかもしれない。でも、当時のぼくはゴールを決めるよりその過程を楽しむような人間で、そんな状況にも関わらずシュートを打たずにいたら、気づいた時にはコースはすべて塞がれていた。仕方なくぼくは最終ラインまでボールを戻し、そしてそれ以降ペナルティエリア付近までボールを運べる機会は一度もない。
サッカーの喩を出したけれど、当時はまだJリーグも始まってないし、鋳造の観戦三昧人生も当然だけど始まっていない。当時のぼくは適当にふらふらと旅をするだけの人間だった。もしあの頃に結婚していたら、ぼくはどうなっていただろう?Jリーグの試合ぐらいは観たかもしれない。でも、JFLの藤枝ブルックスvs柏レイソルをきっかけにして西濃運輸の負けっぷりを38回も見届けるような人間になっていただろうか?
当時、大学の後輩がぼくのことを「鋳造さんは結婚したらベッタベタのマイホームパパになるだろう」と言っていたのを思い出す。そうかもしれない。自分がマルチタスクな人間じゃないことはわかっている。


ぼくの大好きな小説、橋本治『桃尻娘』シリーズの最終巻「雨の温州蜜柑姫」の最後のセリフ「どっち行く?」。ぼくたちは絶えず選択している。選択した先にはそれぞれの人生があり、その質というのは大した問題ではない。そしてすぐに次の選択が訪れる。
過去はそう簡単には対象化できない。だけど、やはり対象化しないといけないものだ。ぼくの時間は進んでしまったのだから。彼女の時間と同じ速度で。


この雑文も気づいたら101本目。ご愛顧に感謝しつつ、ちょっと今回はセンチな文章にさせてもらいました。次回からはいつものおちゃらけに戻ります。たぶん。

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