吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2003/09/02◆the undertaker ritual
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ぼくのサイトからリンク設定もされている某サイトの管理人が自殺した。掲示板にはお悔やみのメッセージが多数寄せられている。


彼女はぼくのことを師匠と読んでいた。となるとぼくにとって彼女は弟子ということになるのだが、そういう意味では、彼女はあまり優秀な弟子ではなかった。なぜなら、師匠の第1の教えである「長生きしたヤツの勝ち」を守らなかったからだ。
彼女は「生活保護や年金をもらってまでして生きるのは嫌だ」と書き残して死んでいった。村上春樹『羊をめぐる冒険』にこんな表現がある。「人間には欲望とプライドの中間点というものが必ずある。すべての物体に重心があるようにね」。彼女の、欲望とプライドの重心はどこにあったのだろうと考える。おそらく自ら命を絶つという決断をした時にはかなりプライド側に偏っていたのだろう。


彼女は京都在住の鹿島サポだった。今年元日の天皇杯決勝ではサンガが気になりつつもやはり鹿島サポの血は争えないというか、祝杯をあげるぼくとSun'sSon氏のもとに「よーございましたねっ!」というお祝いメールを送りつけて来た。負けず嫌いなところはジーコの教えなのかもしれない。
そう、彼女は負けず嫌いだった。彼女は鬱病から逃げなかった。正面から見つめ、ぶつかりあい、そして消耗してしまったのだ。彼女の最後の日記は「誰か助けてよ。お願い。」で結ばれている。
しかし、彼女が死んだと知ってもショックだったり悲しかったりしたわけじゃない。なぜなら、彼女は何度も死のうとしていたからだ。一緒にサッカーを観る機会がなかったのが残念なだけだ。一度、神戸ウィングに神戸-仙台戦を観に行こうという話になったのだけど、当日PD====ThisIsTheErrorMessege====の発作が起きてしまい、彼女は来ることが出来なかった。


ぼくに出来ることは、彼女の最後の選択を尊重すること。そして、掲示板に集うメンバーに残した「あたしの分も生きてね」というメッセージを受け入れること。ぼくは朝早く自宅を出ると鏡島弘法に行って線香をあげて彼女の冥福を祈り、その足で岐阜駅に行って特急列車に乗って出かけてサッカーの試合を観て、夕方からは学生時代の知人達とうまい酒を呑んだ。ぼくにとって生きるということは経験を楽しむということだ。楽しいこともそうでないことも含めて。彼女にとっては苦しむということだったのかもしれない。でも、彼女はもうサッカーを観ることも出来ないし、うまい酒を呑むことも出来ない。もったいないことをしたね、レイムさん。

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