吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2003/07/09◆塀内先生、『オフサイド』できます?
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「猫のジャンケンです。誰が勝ったでしょう」
「3番です」
「正解!オフサイド、できます」

ネットで「キリン オフサイド」で検索かけると、ほとんどがキリンカップの情報だ。あたり前なんだけどね。


漫画家の塀内夏子さんがフロンターレのポスターなどを手がけることになったそうだ。川崎市中原区出身なんですって。塀内さんと言えば、『オフサイド』。『Jドリーム』というひとも多いんだろうけど、ぼくにとっては『オフサイド』だ。そういう世代なんでね。

先日、マンガ喫茶に行ったら『オフサイド』を揃えてあったので最終巻だけ読み返してしまった。最終巻の発売は1992年3月。これは当時のサッカー世相を知るうえで有効なテキストになり得る。この時点でまだJリーグは始まっていない。
主人公・熊谷五郎のいる私立川崎高校は高校選手権を2連覇してドラマは終わる。仲間たちは卒業してそれぞれの進路を選ぶのだが、もちろんプロ化前なのだから選択先は“企業”になる。絶妙なコンビプレーで鳴らした2人の選手が、更なる進歩を目指して「ヤマハ」「ニッサン」に別れて就職する。大学進学を選んだものは早稲田や順天堂に進み、関東大学リーグで覇を争う。そして、熊谷五郎は1FCケルンに入団して3年後にようやく初ゴールを挙げ、サッカー雑誌編集部でバイトに励む高校当時のガールフレンドはFAXで送られて来た速報に目を通して感激に涙を浮かべる。どうよ、この距離感。


『オフサイド』最終話には「日本代表」という言葉が出てこない。なぜなら「日本代表」という言葉が、まだなかった。あったのかも知れないけど、あまり使われてはいなかった。「全日本」だったのだ。もちろん「オリンピック」「ワールドカップ」なんてタームも出てこない。日本サッカーと世界との距離感が1992年から10年間でものすごーく変わったのがわかる。
もちろん、サッカーの勢力図も変わった。1FCケルンはその後2部落ちを経験するなど下位に低迷するようになってしまったし、早稲田大学に至っては2003年現在、関東大学リーグの2部にもその姿はない。====ThisIsTheErrorMessege====


塀内さんは『オフサイド』後の10年をどう見ているのだろう。


そこで、差し出がましいことを承知で『オフサイド』の登場人物を使った『オフサイド2003』のような作品を提案してみる。

舞台はW杯の熱狂も去った2003年の日本。五郎君は彼女と結婚してその後もブンデスリーガの中堅どころでプレーしているけれど、そろそろ日本に戻ることを考えるようになる。日本リーグの企業チームに進んだ選手達は、Jリーグ後もしばらくは活躍したけれど、若手選手の台頭でトップチームに居続けることが出来ずにJ2やJFLや地域リーグに活動の場を移している。進学を選んだ選手の中にはスポーツマネージメントに目覚めてサッカーバブル期に一世を風靡したものの、不況のあおりを受けて破綻して現在は地方でこども達のコーチをしながら細々とスポーツ用品店を営んでいるとか、若いうちにケガをして選手生命を失い指導者として高校選手権制覇を目論んだりとか、視野の広さを活かして審判になろうと努力したりとか。決して陽のあたる場所ばかり歩いているわけではなく、それでもサッカーを捨てられない男達の姿が描けるのじゃないかと思うんだけど、どうでしょう塀内さん。ちょっと暗いかなあ。

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