吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2002/12/14◆Christmas Time in Blue. その2
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「あれ?」と彼女は言った。「なんでここから乗って来るの?」


ぼくは何年かに一度のペースで職場を変わっている。彼女はぼくが7年前から2年前までいた会社にいた女性で、過去に出会ったすべての女性における美人度ランクで間違いなくTopFiveListに載るひとだった。仕事のつきあいしかなかったのだけど、彼女はぼくにこんな風にフランクに話しかけてくる。で、ぼくがいまの職場の最寄り駅から電車に乗ろうとした時、開いた扉の脇に偶然彼女が立っていたというわけだ。
終点まで乗るぼくと、途中の駅で降りる彼女。ぼくらは時間を惜しむように話をした。彼女はぼくがその会社を離れてしばらくして会社を辞めた。現在の職に就いてまだそう経っていないらしい。
「おかげさまで彼氏も出来まして」と照れ笑いをしながら彼女は言った。相手は同じ職場の男性だそうだ。なかなか動きが速い。彼氏と出会うまでは一人暮らしだったそうで、「いまでは彼のいない生活は考えられない」とまで言った。おかげさまでと言われても、ぼくが彼氏を紹介したわけじゃないんだがなあ。しかし、繰り返すが仕事上のつきあいしかなかったぼくに、なぜ彼女はいきなり電車の中でノロケたりしたのだろう?彼女が降りてから終点まで、ぼくの思いは複雑だった。複雑な思いを引きずりながら自宅に戻った。

戻ってしばらくすると、サッカー観戦で知り合った知人から電話があった。彼女と別れ、その翌日にはもう次の相手といい関係になっていた、という話だった。電車の中での複雑な思いがもう一度戻ってくる。なぜみんな、ぼくと関係ない相手を見つけていい関係になった、とぼくに報告してくるのだろう?


ぼくは女性から「彼氏が出来たの♪」「結婚するの♪」と打ち明けられることが多い。男性からも、そういう報告を受けることが、なぜか多い。10年くらい前にも、仕事の相手だった女性に「ねえねえ吉田さん聴いて聴いて!」とルンルンの結婚報告を受けた。「ほう、そうかそうか、それはおめでとう。で、新婚旅行はどこに行くのかね」とぼくは疲れた声で尋ねた。
「あのね、ロンドンとパリ」。この答を聞いた瞬間に、ぼくの中で「ここは職場だ」という理性のスイッチは飛んでいってしまった。「よしわかった!Queens Park Rangersのグッズ買って来い!」

「………え?え?」彼女は明らかに狼狽していた。ぼくはイチから説明しなければならなかった。ロンドンにQPRというクラブがあること。マイナーなのでちょっと探さないとグッズは見つからないかもしれないこと。その時のぼくは完全に盲目だった。結婚式の2日前に彼女の家に電話して念を押し、しかも披露宴にはレタックスでお祝いのメッセージを贈って、追伸として「ブツの方、よろしく頼む」と書いてダメ押しまでしたくらいだ。ちなみにこのメッセージは披露宴で読まれ、司会者は「この『ブツ』って、お土産のことですよね?」とフォローを入れ、新婦席の彼女は恥ずかしさに顔を赤くしていたらしい。2週間近くして、彼女からQPRのスカーフを2本受け取った。

この彼女は現在は岐阜で働いているので、時々見かけることがある。何度か話もしたが、いいお母ちゃんという感じで、きっと家庭も幸せなのだろう。サッカー観戦で喜びの素直な爆発は観ていて気持ちがいいという話は以前も書いたが、幸せの自然体な表現も悪い感じはしない。


今年も『クリスマス・イブ』が流れる中、クリスマスが来る。何もなければ、何もないはずの季節。ぼくは通常通りに仕事をして通常通りに帰宅して、おそらく通常通りの夜を過ごすだろう。隣に誰かがいなくて寂しい、とは、たぶん、思わない。孤独感はない。孤独ではあるけれど、だからどうということはない。

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