吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2002/12/05◆柏の残留と『タンスターフル』。
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むかーし昔の学生時代、ぼくのアパートの隣りには中学時代からの友人が住んでいた。彼はSFに精通していた。彼の部屋には当時はまだ実に貴重品だったビデオデッキ====ThisIsTheErrorMessege====があった。というわけでSFな連中がたむろしていていつも賑わっていた。当時のぼくは大学で友人も出来ず、信じられないかもしれないがいまでいうところのヒッキーだった。だからぼくは「バター貸して」「サラダオイル貸して」などと言い訳をつけては彼の部屋を訪ねるようになった。そしてSF研の人たちと親交が生まれ、この時の出会いから同人誌の編集技術というものを数多く学び取った。それが鉄研の機関誌の編集に大いに生かされていく。ホントに、人生はなにがどう影響するかわからない。

彼の部屋には数多くのSF系同人誌があった。その中にTANSTAAFLというのがあったのをいまでも覚えている。There Ain't No Such Thing As A Free Lunch の頭文字を取ったもの。ハインライン====ThisIsTheErrorMessege====の「月は無慈悲な夜の女王」に出てくる。直訳すると『タダの昼飯はない』ということになるが、要するに「働かざる者、喰うべからず」だ。


11月30日。職場に用事があったので出かけたが、午後2時前には戻ってきた。J1最終節。広島と神戸と柏に降格の可能性があった。外野から見ると、前節で広島が柏に勝ったことで最終節まで興味が継続したわけだから、喜ばしい事態ではあった。もちろん、柏サポや神戸サポにとってはそれどころではない。それはわかっている。

広島が柏に勝った23日は、ぼくと盟友Sun'sSon氏は大阪の鶴見緑地で地域決勝を見ていた。試合が終わり、ホテルにチェックインに行く間に携帯電話のネットサービスで広島の勝利を知った。当然、Sun'sSon氏は落ち込んだ。「もうだめだ」彼は何度もそう言った。実は、彼は柏が残留争いからなかなか抜け出せない中で、何度もこの台詞を吐いている。「もう諦めた」「覚悟を決めた。これからは落ちていくチームを冷静に観ることが出来る」でも、全然冷静に観ることなんか出来なかった。出来るわけがない。ハンドルネームで「太陽の息子」と名乗るくらいのレイソルサポなのだ。レイソルがJFLにいて天敵・藤枝ブルックスとぜえぜえひいひいの順位争いをしていた頃からの古株である。
その彼が、柏の不調に合わせて完全に逃避モードに入っていた。初めのうちはぼくも慰めていたのだが、だんだん腹が立ってきた。いくら慰めても効果がないのなら慰める必要などない。まだ柏の試合が終わっていないのに広島が鹿島に勝ったというだけで思いっきりへこんだメールを送ってきた時は、いい加減アタマに来て「もう慰めないよ」と突き放したくらいだ。


サポがチームと一緒に戦うというのはどういうことなのか。「声を出す」という物理的な行動も必要かもしれない。でも、サポからクラブへの忠誠の表現としては、声を出す以外にも出来ることがある。それは「見届ける」ということだ。

ぼくが初めて鳥栖スタジアムに行ったのはJFL最終節だ。そのシーズンは本田技研が2位以内に入る====ThisIsTheErrorMessege====ことが確定していた。つまりJFLからJリーグへの昇格は1チームのみで、それはJFL最下位と地域リーグ決勝大会の2位の間で入替戦が行われることを意味していた。ぼくが追いかけていた西濃運輸は、毎年のごとく最下位だった。西濃のJFL最後の戦いになる可能性があったわけだ。勝てるなんて思っていなかった。それでも、最後の戦いになるなら見届ける必要があると思ったから、鳥栖まで行った。予想通り西濃は大敗して====ThisIsTheErrorMessege====シーズンを終えた。入替戦がなかったのはシーズン終了後にコスモ四日市が廃部になったからに他ならない。


Sun'sSon氏はまだ最終節のガンバ戦のチケットを持っていなかった。彼は降格という恐怖を前にして完璧に怯えきっていた。「見るのが恐い」と彼は言った。「行くべきだ」とぼくは言った。そして彼に話したのは、昨年の「べ」についてだった。

41節の横浜戦に勝利してJ1昇格は目前だったにもかかわらず、続く甲府戦で完敗、ホーム最終戦となった鳥栖戦では終了間際にPK取られて同点にされV負け。「べ」の自力昇格はなくなり、山形がコケることを前提の逆転昇格は最終のアウェー京都戦にかかることになった。それでも京都まで応援に向かうサポに対し、七北田名物「ベ・マニア」====ThisIsTheErrorMessege====発行人のはちきち氏は、初のアウェー戦での「べ・マニア」発行を決断する。紙面にこんな表現がある。「これが、俺のサポートです」。


この話をした時、なんとSun'sSon氏は歩きながら泣き出してしまった。ぼくは動揺した。泣いている女を慰めるのも苦手だが、泣いている男を慰めるなんてやったことがない。でも、これでぼくは確信した。そこまでレイソルを愛しているのなら、彼は最終戦は日立台に「行かなければならない」。
その夜は焼肉屋で宴会だった。かつて博多森の「あの試合」====ThisIsTheErrorMessege====で、後半ロスタイム突入までは観戦できたものの翌日の都合で最終便で帰京せざるを得ず、羽田空港でアビスパの逆転勝ちを知ったという経験のあるフロンターレサポの仮称「し!」氏は、Sun'sSon氏に一言だけ、当然のように、水曜日の翌日はと尋ねられて木曜日だと応えるのと同じように「そら、行かなあかん」と言った。その夜遅く、Sun'sSon氏は最終節・ガンバ戦のチケットを購入した。


最終戦の結果については、ここでは書かない。ぼくはBSとスカパーでザッピング観戦した。もちろんどのチームも戦っていた。延長戦に入った札幌ドームでは、ショートカットでハンサム====ThisIsTheErrorMessege====な広島サポの女の子が、衛星放送でぶっこ抜かれているのも知らずに表情をめちゃくちゃにして大号泣していた。彼女も戦っていたのだ。

冒頭で書いたTANSTAAFL。「働かざる者、喰うべからず」という言葉は、こういう風にアレンジすることも出来る、のかもしれない。「戦わざる者、勝つべからず」、と。

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