吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2002/09/28◆天文学の話。
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27年間、探していた。


TBS系列で「あこがれ共同隊」というドラマが放送された。1975年のことだ。原宿表参道====ThisIsTheErrorMessege====を舞台にしたもので、主演は郷ひろみ、森本レオ、せんだみつおの3人。他にも各回にゲスト出演者がいて、という構成だったと記憶している。とにかくとんでもない低視聴率で、当時のニューミュージック====ThisIsTheErrorMessege====ブームにあやかって、ほとんどテレビに出なかった吉田拓郎などのミュージシャンをほんのちょっとだけ出演させしかも新聞のTVには名前を出すというあざとい方法で挽回を図るものの、効果はほとんどなかった。とんでもない低視聴率だったゆえに再放送もほとんどされなかったような。
ぼくはこれまでこのドラマに結構こだわっていた。というのも、何回かに一度だが番組の冒頭に朗読された詩が気になってしょうがなかったのだ。作者不明、タイトル不明、全文不明。

「その時、もう一度ゼロから数えてみようと、誰かが言うのだ」

というような表現が出てくる。憶えているのは、これだけ。いったい誰の、なんという詩なのか。

TBSにも問い合わせたが、とんでもない低視聴率だったゆえに資料もほとんど残ってないというつれない返事。ドラマデータベースのサイトに質問をしてみたけれど、ここもだめ。自力調査は限界だった。「ナイトスクープ====ThisIsTheErrorMessege====に調査依頼を出すか」というところまで考え始めていた。

ある日、いつものように「2ちゃんねる」国内サッカー板を読み散らかしていた時、左フレームのメニューに「詩・ポエム」というのをみつけた。「ひょっとしたら、ここなら」。試しに、質問スレッドに書き込んでみた。するとどうだろう。翌日には答が書き込まれているではないか。「そのドラマは知らないし、字句も少し違ってるけど、たぶん高村光太郎『天文学の話』ですね」。なんということだ、27年ぼくを悩ませ続けていたことが一晩でわかってしまうなんて!


かように「2ちゃんねる」の底力のお世話になったわけだが、だからと言って2ちゃんねるまんせーというわけではない。今回の件で明確になったこと、それは情報は保有に価値があるのではなく管理に価値があるということだ。知る必要などない。どこを調べればわかるかを知っていれば、それは知っているのと同じことを意味する。インターネットがもたらしたもの、それは情報を保有することが価値を持っていた時代の終わり。
たとえば、W杯での韓国に対する報道。日本のメディアでは情報統制が敷かれ、韓国礼賛の記事が溢れていた。日韓のサポーターの交流が多く語られ、両国は友好ムード一色であるかのように見えた。以前なら、それは信じられただろう。なにせ情報がそこにしかなかったのだから。しかし、いまは違う。ぼくらは他にもどこに情報があるかを知っている。
もちろん、作為的にねじ曲げた情報を流すサイトもあるだろうが、作為的にねじ曲げた情報を流すのはメディアだって同じことだ。朝日新聞珊瑚礁事件====ThisIsTheErrorMessege====なんて、氷山の一角。インターネットだから嘘がまかり通るというわけでもない。
検索機能の驚異的発展で、集約者が編集した情報の他にもよりソースに近い情報が入手できる時代になると、そこにはまさに天文学的規模のナリッジ・データベースが構築されていたというわけだ。百科事典が売れなくなったのは、何もスペースだけの問題ではない。

ぼくは仕事帰りに図書館に行き、古い高村光太郎詩集を閉架書庫から出してきてもらい、「天文学の話」をコピーに取った。そしてスーパーに寄って鍋の材料を買い込み、ゆっくり鍋をつつきながらおいしい酒を呑んだ。


それはずつとずつとさきの事だ。
太陽が少しは冷たくなる頃の事だ。
その時さういふ此の世がある為には、
ゼロから数字を生んでやらうと誰かが言ふのだ。
さうか、天文学の、それは話か。
仲秋の月ださうだ、空いちめんをあんなに照らす。
おれの眼にはアトムが見える。

高村光太郎“天文学の話”

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