吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2002/07/08◆いつものシーズンが戻ってきた
 home  index  prev next 

「また雑文の更新が止まったな」と危惧される方もいらっしゃるでしょう。そのうち旅行記に書くけど、韓国まで行って3位決定戦を観て、すぐに帰国してTVで決勝戦を視て。で、先週一週間はやはりというか燃え尽き症候群になりかかってましたね。でも、水曜日だかに名古屋駅の地下街を歩いていて現実に引き戻された。

「ああ、『ひろひろ』売り出したんだ……………」

また血のにじむ思いをしてからまわりする予想を公開する日々が始まるんだ。ってイヤならやめればいいんだよね。でもなんか一部の方には娯楽が提供出来ているようなので、とりあえず今シーズンはがんばってみます。
そしてこの週末に、もう一つ現実に引き戻される機会がやって来た。加賀市陸上競技場にJFL・アローズ北陸vs静岡産業大学の試合を観に行くのだ。W杯3位決定戦の次の観戦がJFL。前者・観客6万6千人。後者・観客数百人。サッカーのレベル、比較不可能。


土曜日は昼過ぎまで仕事だったので、名古屋から高速バスで金沢へ。ゲロ袋萌え萌えと待ち合わせして呑む。いい感じに酔っぱらったところで萌え萌えの家に行き、件の「北國新聞」を見せてもらう。確かに6月2日の朝刊====ThisIsTheErrorMessege====は相当なものだ。しかし、この新聞はただ単にアンチサッカーな新聞ではなかった。いや、実はどの全国紙よりサッカーの伝え方がわかっていると言い切ってもいいかもしれない。そう思わせたのが6月30日の朝刊だ。1面の下の方に「韓国破りトルコ3位」。

今回のW杯の報道に関して納得できない部分はたくさんあったけど、とにかく納得できなかったのは「3位決定戦で勝ったのはどこですか?」という点。韓国が負けた。それは事実だ。で、勝ったのはどこなんでしょう?地上波のTV中継では4位の韓国の表彰が終わったところで放送を切ってしまったそうではないか。A日新聞も「韓国胸張る4位」の大見出し。なあ、勝ったのはどこなんだ?
その点、北國新聞は、敗者を讃えるのはもちろんだがまず讃えられるべきは勝者だという部分をキチンと把握していた。W杯特別面の大見出しは「躍進トルコ実力証明」。====ThisIsTheErrorMessege====イルハンとハカンシュクールの記事がどどーんとあって、その下に「韓国完全燃焼」。さすがである。正しい報道のあり方だ、と持ち上げておきたい。しかし、こんな当たり前のことをなぜ強硬に褒め讃えないといけないのだろう。つくづく日本の報道はねじ曲がっていた。

さて、呑んだくれた翌日の加賀市中央公園。早く着きすぎたので隣の野球場のスタンドで軟式野球を観たり昼寝したりしていた。、次の試合に出てくる草野球チームの選手達が何やら話をしている。断片的に聞こえてくる単語から想像すると、どうやら午後からの陸上競技場でのJFLに関する話をしているようだ。JFLが北信越リーグとJ2の間のリーグだということはわかっているようだ。それだけでも十分。しかし彼らの口から「上田ジェンシャン」という言葉が聞こえてきたときは飛び起きてしまった。なぜ加賀市の草野球チームの選手がジェンシャンを知っている?
陸上競技場に移動。入口で配っていたチラシにアローズの練習試合の結果が出ている。そうだった、クロアチア代表とやったんだよなあ。でも、そんなこと言ったら対戦相手の静産大なんか日本代表と何試合もやったはずだし点も取ったはずだけど。で、アローズはグランパスともやってドローだったそうだ。前に座った少年団の子ども達が話をしている。

「すげえよ、グランパスとドローじゃん」
「でもグランパス弱いんだろ、佐川に4-0で負けたんだぜ」
………ひとの記憶ってそう簡単には消えないのね。

試合開始前にお偉いさんの挨拶がある。なんでも加賀市サッカー協会が30周年だそうで、それで試合誘致となったらしい。で、試合開始なのだが、序盤ははっきり言って退屈極まりないもので、途中で帰りたくなった。やってるサッカーはどう考えても静産の方が面白い。小技の数々でスタンドを沸かせてくれるが、前半でゴールになったのは結局ヘディングシュートの当たりどころが悪くてふらふらと入ってしまったという1点だけ。ところが後半になると中盤でプレッシャーがない状態でラインを上げるとどうなるかの見本のように長いボールをGKとDFの間に通されて2分間に2点とアローズが逆転。静産は前半のようなサッカーが出来ずに、ついにアローズはJFLで静産に初勝利。わずか400人強の観客は大いに喜んでいた。その光景は、まさに 「それはぼくらに、いつものシーズンが戻ってきたことを、適切かつ入念なやりかたで教えてくれた」====ThisIsTheErrorMessege====という感じだった。ぼくはW杯の思い出は切り離して、いままで通りサッカー観戦を愉しむことが出来るだろう。そういう意味では収穫のある観戦旅行だった。

 top  prev next