吉田鋳造総合研究所
鋳造所長雑文録
2002/05/14◆ぼくはこんなにもフランスW杯を(前編)。
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いまでこそ代表なんてぇららーらーららららーらぁーな感じでなかばちゃんちゃらモードだったりするのですが、実は4年前の私はどんな風に代表やワールドカップと向き合っていたのかがわかる資料が発見されてしまいました。東北大SF研究会のOBやOGが寄稿している霧笛というコピージンの28号。発行は1998年8月10日。発行人の快諾を得て、ホントに若干の加減筆修正だけして公開します。いやあ、この鋳造がこんなにも日本代表について語っていたなんて。恐るべし。


【1997年6月28日】
一応、国内でW杯の予選が行われるのだから、サッカーファンを公言する身としてはいかないわけにはいかないでしょう、というわけで国立競技場に向かいました。その日は第1試合がマカオvsネパール、第2試合が日本vsオマーンでした。それまでの成績から、日本がオマーンによほどひどい負け方====ThisIsTheErrorMessege====をしない限り日本が最終予選への出場を果たします。つまり「気楽に観ていられる試合」なわけです。
せっかくだから、とマカオvsネパールから観ることにしたのですが、とにかくこの日はものすごーい風と雨で、屋根のない国立のバックスタンドで見続けるには相当な体力と根性が必要でした。「気楽に観ていられる」ということは、別の言い方をすれば全然マジメに観なくていいということでもあります。私は体力の限界っ!とばかりにマカオvsネパールの後半途中で帰ってしまいました。すれ違う人々からあからさまな批判の眼差しを受けましたが、カゼ引くよりはマシです。ですので、私は日本で行われたW杯予選を観ながら日本代表の試合は観ていない数少ないサッカーファンの一人です。もしかしたら、私だけかもしれない。

日本vsオマーンは1-1のドロー。場内は大ブーイングだったそうですが、私はその頃柏駅前の居酒屋で盟友Sun'sSon氏と呑んだくれてました。あー見切ってよかった。

【1997年8月13日】
でも、やはり日本代表は観ておく必要があるのでは?との自責の念も断ちがたく、大阪・長居に日本vsブラジルを観に行きました。ブラジル代表を乗せたバスはこの日のために買いましたっ!と言って通りそうな新車、おまけにガイドさんは純和風のとびっきりの美人。かなり気を遣っています。

しかしまあ、ブラジル代表応援団ってのはどうなってんですかね。試合開始1時間半前から大騒ぎです。まだ1試合分も前から、ですぜ。おかげで退屈せずにすみました。試合は3-0でブラジル。日本はゴール前に釘付けでした。たまーにオープンスペースにクリアボールが流れ、カズがよっこらと走りながら追いかけます。私は「ああ、カズじゃだめだ」とこの時に確信しました。ロスタイムまったくなし!で試合終了、さすがナイキのプロデュースです。試合というよりはショーを見たような感じでした。

【1997年11月1日】
日本が蚕室で韓国に勝ち、なんとか望みをつなげた試合。私はその時、仙台のボンボン会館の3階で麻雀を打っていました。ちゃんちゃん。

【1997年11月16日】
日本中のサッカーファンが心を合わせてマレーシアにテレパシーを送っていたらしいその夜、私は寝ていました。ものすごく眠かったんですもん。前半終了までは起きていられたんです。だからゴン中山の先制ゴールはちゃんと観ています。
で寝ちゃったんですが、夜中に目が覚めました。一応気になるのでTVをつけると、2-2で延長後半の始まるところ。で、自分でもすげえなあと思うのですが、ここでまた寝ちゃったんですよね。15分としないうちに電話で起こされましたが。
「よかったねー」とはSun'sSon氏。「あ、そうなの。誰が決めたの?」と私。Sun'sSon氏は「岡野だよ」と答え、私の質問の意味がようやくわかったようでした。「ホントに寝てたの?!」

やっぱり私は非国民なのでしょうか。

【1997年12月23日】
名古屋瑞穂で東京ガスがベルマーレ平塚に鮮やかな逆転勝ち。準決勝進出です。私は嬉しかった。心底嬉しかった。日本代表がW杯に行くことが決まったと知った時より嬉しかった。だって、JFLを観続けている私にとっては、日本代表より東京ガスの方が身近なチームだったから。

1999年からJリーグは2部制になり、いまのJFLは再編されます。その際、各メディアやネットでいろんな意見が飛び交いましたが、その中に「企業チーム====ThisIsTheErrorMessege====なんて排除すべき」という意見もいくつかありました。代表の強化につながらないからだそうで、驚きましたねー正直言って。その人は産まれる時代を50~60年くらい間違えたんでしょう。花いちもんめ====ThisIsTheErrorMessege====に代表される選民思想は、こんなところに根強く残っていたんですね。こんな状態なのに、100年待てば「スポーツで幸せなくに」が出来るのでしょうか?ねえ川淵さん。

でも、こうした「代表至上主義」ってのは珍しくないのかなあ。社会人サッカーにもうるさい知人と飯を食った時、私が「企業チームの選手ってのは、代表を強くするためにサッカーやってるんじゃないでしょ」と言うと、彼は急に視線が厳しくなって猛反発しました。サッカー界の裾野の広さが代表の強化にもつながるってのに、なんだってお前は!というわけ。でもさ、風が吹けば桶屋が儲かるからといって、じゃあ風は桶屋を儲けさせるために吹くのか?桶屋を儲けさせない風は吹いちゃいけないのか?本当にこんなんで「幸せなくに」が出来あがるんですか?ねえ、川淵さん。

【1998年3月4日】
噂に名高い新横浜====ThisIsTheErrorMessege====にダイナスティ杯を観に行きました。

今度はちゃんと2試合観ましたよ。中国vs韓国はお互いのプレーの質がよくわかって面白かった。日本vs香港は…ねえ。ホントにこんなチームがW杯に行っていいんでしょうか。とにかく雑。アイディアがない。5-1で勝ったのですが、こんなに「ゴールが決まっても面白くないゲーム」は久しぶりでした。ぷんすか。

【1998年5月21日】
キリン杯です。日本・パラグアイ・チェコが参加するのですが、どう考えても一番面白いゲームになるのはパラグアイvsチェコです。というわけで年休ぶちかまして神戸まで行きましたわさ。チェコはW杯予選ではスペイン・ユーゴスラビアと同じグループという尋常でないツモの悪さでW杯出場を逃したのですが、いやあ強いのなんの。W杯に日本代表が出てチェコ代表が出られないってのは大きな不幸だと思う。

【1998年6月2日】
代表メンバー発表。おおそうかカズがはずれたか。私の考えと一致しているな…なにっ城をFWの柱として考えているだと?おいオカダさん、それは違うぞ。W杯最終予選で城はいったい何ゴールしたと思っているんだ。こんなのをFWの柱にして点が取れると思っているのか?この監督で大丈夫だろうかとマジで思った。



長くなるのでまずはここまで。フランスW杯が始まってからの話は後編で。

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