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【İSTANBUL】12. エユップ、ピエール・ロティという作家
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シルケジ-Sirkeci-からエミノニュ-Eminönü-西側のバスターミナルまで歩いていくうちに雨が降り出した。まったく想定してなかったので、傘を持ってない。降り出したタイミングを見計らってビニール傘売りが街に飛び出してきたのには「さすがだなあ~」と感心した。で、その傘売りなんだけど、ぼくには日本語で「降るよ降るよ降るよ降るよ」と言ってるように聞こえた(笑)けど、じゃからんには「無料無料無料無料」と聞こえたらしい(笑)。それもどうかと思うが、聴いていると確かに「無料無料無料無料」の方が正しい気がする(爆笑)。さて、なんて言っていたのかしら。翌日、エジプシャン・バザール近くの店でも呼び込みの店員が同じような発音をしていたので、おそらく『傘』という意味ではないと思う(笑)。

しかし、雨に慣れた日本ならすぐに傘が開くくらいの降りなのに、イスタンブールの皆さんはそのまま平気で歩いているし、傘もほとんど売れてない。可能性は2つあって、そもそも傘を差す習慣がないのか、あるいはイスタンブールの雨はすぐに止むか。ぼくらは後者に賭けることにして、雨に濡れたままエユップ-Eyüp-方面の99系統バスを並んで待った。やって来たバスは満員で、ぼくらも座れずに移動することになったけど、やって来たのが新型バスで次のバス停がちゃんとモニターに出るのは助かった。TELEFERIKというバス停で降りればいいはずだ。

バスを降りると雨は止んでいた。ぼくらは賭けに勝ったのだ。そして、すぐ目の前に新しいロープウェイがある。おお、これだ!とちょっと並んで乗車。麓の駅から山頂までの山肌が全部イスラム風の墓。山がまるごと墓地のようだ。
で、これに上ると、そこは避暑地のような佇まいで、じゃからんが「イスラムのニオイがまるでしない」。ぼくは「エユップ・ジャーミィはきっとこっちだよ」と適当に歩き始めるのだが、彼女は「違うよ、イスラムのニオイがしないもん」と譲らない。すれ違う地元のこども達もぼくらに「ピエール・ロティはあっちだよ」とモト来た方を指差す。地図をしっかり見てみよう。すると、果たしてじゃからんの言うようにエユップ・ジャーミィは山の上ではなく麓にあるのだった。ロープウェイで上がることなかったのだ。いやはや間違えた。ピエール・ロティ・カフェも行きたいけど、やっぱり参拝を済ませてからだよね。ロープウェイで降りるのが簡単だけど、上がってきた時に外国人の団体客で大混雑だったのだ。

ここは歩いて降りよう。というわけで、上ってくるときにずっと視ていた“山肌の墓地”の間の道を歩いて降りることに。観光客が墓場の中を歩いて行くというのもなかなかな体験ではある(苦笑)。
だいたい方角はあっていたようで、しばらく降りていくとエユップ・ジャーミィが見えてきた。ひと安心。

2012年10月のİstanbul
33.エユップ・スルタン・ジャーミィ -EyüpSultanCami-
1459年建立だそうで。ガイドブックには「巣鴨」と喩えられていたエユップ・スルタン・ジャーミィは、なんとこれがイスラム教・第3の巡礼地====ThisIsTheErrorMessege====という話もネットで読んだ。イスラム教的には重要な施設なのだけど、他に周囲に大きな施設がないせいか、外国人観光客がわんさか行く感じではない。落ち着いた雰囲気を味わうことが出来る。

到着した時はもう夕方で観光客の姿も少なく。礼拝堂の中ではイスラム教徒の方々がお祈りをしていて、その敬虔な雰囲気にぼくらはしばし声もなく座り込んでいた。地元の人々が三々五々に訪れて夕方の礼拝を行って帰っていく。それは、日々淡々と行われていく宗教儀式。本当に、生活と宗教の密着度がぼくらの想像の遥か上を行っている。エユップ-Eyüp-、来てよかった。

ちょっとだけ門前の商店街を見てから、再びTELEFERIK駅に戻ってきた。もっぺん、ロープウェイに乗って、今度こそピエール・ロティ・カフェへ。

2012年10月のİstanbul
34.ピエール・ロティ -PierreLoti-
1850-1923、フランス人の軍人、作家。イスタンブール赴任中の体験をもとに書いたロマンス小説『アジヤデ』が西欧でベストセラーになり、イスタンブールに憧れる西欧人が急増したとか。wikipeによるとロティは来日もしていてその時のことも小説にしているそうだが、日本人にはいい印象を持たなかったらしい(苦笑)。

金角湾の夜景が綺麗に望めるカフェでチャイをいただいた。外の席では着飾った新郎新婦が記念撮影をしていたりで、いい感じ。カフェ自体は小ぢんまりとしていて、落ち着いた雰囲気だった。ここにも猫が住み着いていて、観光客のみんなに相手をしてもらっている。展望台で何枚か夜景を撮影してから、ロープウェイで麓に下りた。じゃからんが隣のトルコ人のお嬢さんに英語で話しかけられていた。なんでも来週お友達が東京に行くのだそうな。

帰りは……せっかくだ、定期船にしよう。
TELEFERIKの駅から数分歩くとエユップ-Eyüp-の桟橋がある。金角湾の両側を行ったり来たりしながらエミノニュ-Eminönü-からカラキョイ-Karaköy-、そしてアジア側のユスキュダル-Üsküdar-まで行く船だ。出航まで40分近くあるので待合室でぼーっとしてた。他にトルコ人の親子がいたのだけど、上のお嬢さんが三原順『はみだしっ子』のキャラクターそっくりだった。
金角湾を下る船であっち寄ってこっち寄って。船内にチャイ売りのおじさんがまわって来たので1杯いただく。1【も】。カスムパシャ-Kasımpaşa-の桟橋に着いたあたりで結構強い雨が降ってきた。でも、先ほどの例で「イスタンブールの雨はすぐ止む」と見切ったぼくらはエミノニュ-Eminönü-で降りるのをやめ、ガラタ橋をくぐってカラキョイ-Karaköy-まで行くことに。果たして、乗っている間に雨は弱くなった。カラキョイ-Karaköy-からトラム1号線でカバタシュ-Kabataş-、フュニキュレル-Füniküler-でタクシム-Taksim-。ホテル街入口の交差点にあるシミット・サライでパンを3つ買った。店員さんが「Chinese?Korean?」と訊ねてくるので「Japanese」と応えると「ななりらです」。お見事。

2012年10月のİstanbul
35.『シミット・サライ』 -SimitSarayı-
イスタンブールのどこでも目にしたパン屋。ヴィ・ド・フランスというか、アンデルセンというか……。アタチュルク空港にもある。パンの他にスイーツも飲み物も売っていて、店内で食べることも持ち帰ることも出来る。早朝から深夜までやっているようだしで、実に使える。ミートパイ、美味かったです。

別の店でビールとヘーゼルナッツを買って、部屋で例の『フェネルバフチェTV』を見ながらパンの晩飯を食べた。昨夜がメチャクチャ濃かったからね、こんな夜もいいかもしれない。今夜行われたブルサシュポール×フェネルバフチェは1-1だったらしい。前年チャンプ、苦戦しているね。

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