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travelnotes : overseas
【HONGKONG-04】 2010/12/11 電車で、船で、ロープウェイで(1)
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朝、起きてテレビをザッピングしたら足球台====ThisIsTheErrorMessege====なんてテレビ局の番組をやってたんで、しばし視てしまう。欧州サッカーについてフランクに語る番組なのかな。

この日も午前中は観光に当てている。また港島線で中環へ。香港に来た際には必ず訪れる『三多麺食』====ThisIsTheErrorMessege====へ。午前8時から営業ということだったけど、7時50分に着いたらもう中に客がいて何か食べていた。ぼくも中に入る。雲呑麺を初めとする各種メニューは、その横に「湯麺」と「撈麺」と書かれていて、「撈麺」の方が3割ほど高い。でも「撈麺」って何だろう。雲呑麺の撈麺と、いつもの郊外油菜====ThisIsTheErrorMessege====を頼むと、雲呑麺は出せないという。水餃麺なら出来るというので、きっと朝早いので雲呑を切らしてるんだろうな。でも、水餃麺も美味かったよ。麺がくっついてちょっと食べにくかったけどね(苦笑)。知らなかったんだけど、「撈麺」が中国麺の本来のスタイル====ThisIsTheErrorMessege====なんだそうで。
まだ時間があるな…ってんで、翌日の行程用に偵察活動。来港4回目にして初めて“専線小巴”====ThisIsTheErrorMessege====を利用する予定で、だから中環の小巴の乗り場を探しておきたかったのだ。しかし、なかなか見つからない。あれえ、地方指南が出てから場所が変わったのかな…と思いながら歩いていると、ビルの裏口みたいなところに唐突に「山頂→」なんて張り紙が出てきてびっくり。中に入ってみると、果たしてそこが中環の小巴ターミナルだった。こんな専用ターミナルが用意されているなんて!さっそく、翌日に使う予定のバス乗り場を探す。すぐに見つかった。しかし……あ~ららららら。土曜日は半ドンで日曜は全便運休とな!明日は使えないじゃん!どうする鋳造、今日と明日の予定を入れ替えるか。あるいは明日の予定を考え直すか……。しかし、予定の入れ替えはサッカー観戦計画を危険に曝すことになる。今日の予定はそのまま、明日の計画を変更することにしよう。と、小巴の乗り場を探し回ったおかげで時間がギリギリになってしまった。急いで地下鉄東涌線の香港駅に移動、東涌に向かう。
この日の午前中の重要攻略目標が大澳だ。ランタオ島の西端にある小さな漁村。古き時代の香港が残っているということで週末になると観光客がワンサカ来る====ThisIsTheErrorMessege====らしい。でも、基本的に朝が遅い香港だから、早いうちに行っておけば大丈夫だろう。
大澳へのアクセスはいくつかある。地下鉄東涌駅からバスもあるが、2回も山越えをするので1時間近くかかるらしい。一方、屯門~東涌~大澳の旅客船が1日数本だが運航されていて、これだと東涌~大澳を30分ちょいで移動出来るし、何より海から入ることが出来る。この船が東涌新発展碼頭を9:25に出るのだ。まあ、15分あれば駅から桟橋まで歩けるだろう。地図で視れば数百mだし。
甘かったです。確かに直線距離は数百mだった。だけど、これは真剣にびっくりしたのだけど、東涌駅で桟橋方面の案内がまったく見つけられなかったのだ。とにかく地方指南の該当ページを開きながら、あっちだよな?な?と確認しながらとにかく最短距離で行こうとしたら、小さな運動広場で行き止まりになってしまった。もう時間がない。運動広場の端にあった小さな隙間から飛び降りて、歩行者が歩いて渡ることをまったく想定していない設計の道路を、交通量がないことを幸いに横断して、なんとか出航の2分前に碼頭に着くことが出来た。やれやれ~。

船に乗る。おっ、タコが使えるね。釣竿とクーラーバッグを提げた乗船客がピッ。で、ぼくもピッとやろうとすると、船員さんが中国語で何か言ってくる。「タイオー」と言うと、船員さんはタコリーダーを手で塞いで「乗れ」という身振りをする。ああ、わかった。そういうことね。
この船は東涌と大澳の間に沙螺湾というところに寄航する。だから、東涌から沙螺湾まで乗るひとは東涌で乗る時にピッ、終点の大澳まで行くひとは大澳で降りる時にピッというわけだ。船はランタオ島と機場島の間の海峡をゆっくりと西に進んで、沙螺湾に到着。そこはただの船着場で家なんか見えなかったけど、利用者の半分以上がぞろぞろと降りていった。件の太公望達と、あとはトレッキング志向のご夫婦達。大澳まで乗っていくのは10人いるかいないかだった。
大澳碼頭はしっかりした構造だった。船を下りて歩いていくと、観光バスの駐車場みたいなところもある。で、大澳市街と書かれた方に曲がっていくと、そこはベッタベタに昔的な漁村の光景だった。土産物屋も多く開いていて、海産物の干物とかを並べている。日本だったら「いらっしゃい!」とか「美味しいよ、食べてみて」とか呼び込みがウルサいのだろうけど、こっちの方は商売っ気がないというか、並べているだけなので歩いていてもなんか安心。そして、渡し船の跡====ThisIsTheErrorMessege====へ。いまはちゃんと橋がかかっていて、この橋から“棚屋”と呼ばれる水上集落の一部を見ることが出来る。橋の袂では、普通に麻雀が行われていて中国風の牌をじゃらじゃらとやっている。特に何があるというわけではないけれど、大澳には現在の香港市域での繁忙な生活からは確実に違う次元の時間が流れているようで、それが週末になると観光客を多く引き寄せるのだろう。ぼくは橋を渡って吉慶後街をずっと奥まで歩いていって、楊候古廟の手前まで行って戻ってきた。10代なかばの女の子4人組が件の橋の上でジャンプしてるところを記念写真に収めていた。橋の下を、西洋人観光客を載せた遊覧ボート====ThisIsTheErrorMessege====が2隻くぐっていった。橋の袂ではいまだに麻雀が続いていた。
バス乗り場に戻ろうと歩き出すと、永安街の方からラッパの音色が聞こえてきた。行進曲のようだけど少々物悲しいようなメロディ。白い服の男性が2名、ラッパを吹きながら歩いていく。笹のような樹を持ったひとがその後ろに続く。一瞬、カメラを向けようとして、フリーズした。
笹を持ったひとの後ろから歩いてくる女性は写真を抱えている。そして、その後ろから列をなして歩いてくる人々。

葬列だったのだ。

列の最後尾が橋の方に消えたところでぼくは掌を合わせ、バスターミナルに向かった。対岸からは、さっきの物悲しいマーチが聞こえてくる。

11:00ちょうどに発車の昂坪行バスはぼくを含めて乗客3名だった。途中、道端にすっごく大きくて黒い岩が転がってて「危ねえなあ…」と思ったら、それは岩じゃなくて生きた牛だったんでびっくり(笑)。バスは20分かからずに昂坪に到着。

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