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北海道ツーリング(3)
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6時起き。荷物をまとめてチェックアウト。途中のコンビニで朝飯を買い、再び特急電車で旭川に戻る。私のマジェは荒らされることもなく駅前の駐輪場でぼくを待っていた。出発だ。「さあ行くぜ、相棒」。しまった、クセになってしまったかも。一気に北を目指す。士別でちょっと休憩し、士別軌道の本社とかを見る。北海道にはこうした地域限定の小さな路線バス会社が多い。本州ではとても会社を維持できないはずだが、要するに冬季はバス利用しか選択の余地がないわけで、自治体も補助金で対応しているのだろう。

名寄までの途中、湘南ナンバーのオフローダーに乗る女性ライダーと並走する。彼女は名寄市街に入っていったが、ぼくはバイパスを経由して智恵文のひまわり畑へ。いや、行ってみて大正解。ちょうど咲き頃のようで、これは圧巻の一言に尽きるね。望遠レンズを装備したアマチュアカメラマンも大勢いた。売店でゆでとうきびを買って食べた。うまい。湘南ナンバーの彼女も目的はここだったようであとからやってきた。
名寄市街に戻って給油。朱鞠内まで1時間かかると言われたじろぐ。新規に開通した道道で峠を越えて母子里に着いた。ここは日本最低気温記録地だそうだが、個人的な思い出もあった。

僕は次の駅に着くまで運転室の窓にへばりついて前を見ていた。峠のトンネルを過ぎると右の方に牧場が広がって、北母子里駅。何人かの高校生が降りたが、そのうちの1人の女子高生がこちらを一瞬振り返った。僕が席に戻ると、キャラメルの紙で折った鶴と「たつ子姫のゆめ」のカードがあった。彼女が置いていったんだな、と僕は思う。雨はやんだようだ。列車は虹を背景にして終着駅へ急ぐ。

18年前に書いた文章だ。初めての一人旅。あの時「たつ子姫のゆめ」のカードを置いていった彼女は北母子里で降りていった。いまもその女性がいるはずはないし、そもそも線路すらなくなってしまったし、それでもぼくとしてはやはり母子里には行っておく必要があった。

母子里の交差点にはガソリンスタンドが1軒あるきり。その店も閉まっていた。運良く、わずかに残る集落でおばあさんを見つけたので駅のあった場所を尋ねる。言われた場所に行くと、駅舎はおばあさんの言う通り壊されていて跡形もなく、自衛隊の通信施設が建てられていた。その裏にホームが残っていた。18年前の旅のロマン、しかし草に埋もれたホーム跡はホーム跡でしかなかった。それだけの時が流れたということだ。ひとしきり周囲を歩いてみてから、バイクを朱鞠内に向けて走らせた。おそらく、もう母子里に来ることはないだろう。

朱鞠内の街へ。街っていっても商店が数件ある程度。鉄道の駅もないし、現在ここに集落がある理由も考えにくい。駅舎は取り壊されて新しいバス待合所が建っていた。かつての駅前商店で尋ねると3年間に壊されたそうだ。この店には相当年代モノのレジが現役だった。

その店で缶コーヒーを買って飲み、せっかくなので朱鞠内湖畔に行ってみた。湖畔の鉄道駅====ThisIsTheErrorMessege====はまったく見つけることが出来ない。坂を上って湖畔の展望台に着いた。おそらく夏だけ運航の遊覧船が動いていた。きっと気持ちいいことだろう。
湖を離れ、国道を一気に南下。途中で深名線の廃線跡を発見。アルプスの観光鉄道がやって来そうなトラス橋がしっかり残っていた。さらに南下すると、道の両側は一面のそば畑、白い花がいっぱいに咲いている。幌加内町は日本一のそばの産地なのだそうで、せっかくだから幌加内の街で食堂を見つけてそばを食べた。のど越しではなく歯ごたえを楽しむ感じのしっかりしたそばで食べ応え十分。
腹ごしらえを済ませて、旭川への峠越えルートへ。途中で野生の子ギツネをみつけた。人間を必要以上に警戒するわけでも慣れているわけでもない。バイクのまわりをちょっとウロウロしたあとでトコトコ歩いて草むらの中へ消えていった。
旭川の街に戻ってきた。駅近くの丸井今井の地下街で会社などへの土産を買った。残る目的地は1つ。国道を西に走る。妹背牛を通って雨竜へ。地図ではまっすぐ走れば暑寒ダム方面に抜けられるはずだったが、そのまま走っているといきなりダート道になってしまった。もうパンクはいやだあああ。ひいひい言いながらなんとか走り抜け、さらにダムに向けて走ると、北海道ツーリングの最後の目的地・第2新竜橋に着いた。ゲロ袋オハユニ氏が以前国鉄バスに乗って来たことがあるそうで、終点を見つけてきてほしいとのこと。携帯電話も圏外のかなり奥まったところにバスの折り返し場があった。よくこんなところまでバスを走らせていたものだ。
さあ後はがんばって走って帰るだけだ。新十津川駅をほんのちょっと冷やかして、ほくれんのスタンドで給油し、滝川インターから高速に乗った。苫小牧まで2時間、フェリーにはなんとか間に合うはずだ。砂川ハイウェイオアシスを通り過ぎて順調に走っていたところ、突然「プシッ!」と香ばしい音がしたかと思うと、エンジンが空ぶかし状態になった。タイヤに動力が伝わらない!急いで路肩に停車し、何回か回してみたものの後輪はまったく動く気配がない。いくら機械に弱いぼくでも「なにかあった」ことくらいはわかる。30秒ほど途方に暮れたが、どうしようもない。JBRに電話してトラブルを伝えた。JBR曰く「あーそれはベルトが切れましたね」。きっぱり。そして数百m離れたところの非常電話で公団に連絡。あとはすることがないので携帯電話でJBRと連絡を取りつつ呆然とへたり込んでいると、やがてパトカーが2台やって来た。なんでも走行中のクルマからバイクの兄ちゃんが路肩でへたれているとの通報があったそうだ。バイク屋が来るまでパトカーの中で雑談しながら待つ。警察官が免許証の提示を求めないのに好感が持てた。もちろん提示の必要はないんだけどね。やがてバイク屋の軽トラが到着。積み込んで奈井江砂川で高速を降り、滝川まで戻る。バイク屋で分解してみるとベルトは木端微塵になっていた。とにかく今夜はどうしようもないのでフェリー会社に連絡して予約をキャンセルし、滝川駅前のホテルに投宿してあとは居酒屋チェーンで一人で呑みたくった。他にすることがないのだから仕方がない。で、呑みながら考えたのだけど、実はベルトが切れたのが高速道路でよかったのではないかということ。その30分前に携帯電話も圏外の北海道の山中を走っていたのだから。もしその場で切れていたら・・・想像するだけで恐ろしい。

翌日。早朝にインターネットで全日空の札幌→名古屋を押さえる。そして滝川のローカルバスを1往復して時間をつぶした。運転士さんはこの路線を運転するのは2年ぶりだとかで、おかげで路線を2回も間違えてしまう。北海道のローカル道路の交差点なんてどこも同じに見えるからなあ。
9時になったのでバイク屋に行った。部品は札幌にあるので翌日には直るとのことだが、仕事の関係もあるので直るまで待てない。ヤマハのクレーム担当の電話番号がわからないが、こういう時にインターネットって便利ね。ヤマハのサイトから近くのYSPショップの電話番号をみつけ、そこを経由してヤマハ本社の整備担当につないだ。バイクは搬送するしかないこと、整備に手落ちはなく各種代金を負担する意思はないことを強く伝えた。結局ヤマハから連絡はなく、飛行機の時間になったのでマジェはバイク屋に預けて電車に乗って新千歳空港に向かった。
空港で例によってラーメンを食べ、飛行機に乗った。台風が近づいていてかなり揺れた。名古屋空港に着いて、ようやくヤマハの担当者と連絡が取れた。購入店が休みなので交渉は購入店と話をしてからということになった。しばらくバイクなしの生活になるが仕方がない。

トラブルもあったけれど、北海道ツーリング自体は忙しかったもののとても楽しかった。バイク乗りがみんな北海道に向かう理由がよくわかった。また機会があったら挑戦してみたい。

◆その後◆
バイクは3週間近く経って戻ってきた。修理代も運送代も請求されなかった。私の移動にかかった出費も回収できた。妥当な交換条件だと思います。次にバイク買うときにもYAMAHAにしよう。

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