cyic.co.uk 吉田鋳造総合研究所
『私は田中智博ではない』
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まず、はっきりさせておきたいことがあります。


私は田中智博ではありません。


平成9年3月に(財)日本海事広報協会発行の「LA MER(ラメール)」に田中智博なる人物による、渡し船に関する原稿が掲載されました。タイトルは「各地に残る渡し舟は利用がふえても減っても存在が危ういやじろべえ的交通機関」というもので、各地に残る渡し船の紹介ならびに訪問時のアドバイスといった内容ですが、これは、私こと吉田鋳造がG.ZEPPELIN名義で、平成7年6月に発売された『週刊プレイボーイ27号』(表紙は石田ゆり子)に書いた原稿の盗作です。


盗作とはまた穏やかじゃないですね。で、私が「どう考えても盗作だ」と判断する根拠は下に挙げた表の通りですので、参照して下さい。はっきり言って盗用だらけなので、対照表も相当大きくなってしまうけど、つきあってください。

一応弁護士の人とも相談しましたけど、訴訟は見送りました。
理由1.加害側(ラメール)より被害側(プレイボーイ)の方が圧倒的に発行部数が多く、従って賠償額は低くならざるを得ず、訴訟費用の捻出も疑問。
理由2.著作権侵害の訴訟は通常時間がかかる。
理由3.週刊プレイボーイ側は、こうした「盗用」を一種の“有名税”と考えている(優れた企画がTV局などに使われるのは日常茶飯事、らしい)。


いまさら訴訟を起こす意思などありませんが、このままではただの泣き寝入りですし、G.ZEPPELIN(=吉田鋳造)と盗作者・田中智博が同一人物であると勘違いされる(同じことを書いているのですからね)可能性の存在がどーしても許せないので、ここに盗作があった、という事実を記したいと思います。ちなみにこの田中智博という人物は、某全国紙(なんとか経済新聞)の記者だという話も伝わってきたけど、どうなんでしょ。


くどいようですが、私は田中智博ではありません。吉田鋳造です。


<<< 対照表 >>>
類似点は色をつけてわかりやすくしてあります。

吉田鋳造/G.ZEPPELIN
(週刊プレイボーイ)
田中智博
(ラメール)
202ページ1行目~42ページ12行目~
下の写真は、北海道・十勝地方にあった旅来渡船場の跡である。ここは日本で唯一の「国道渡船」だった。船着き場に伸びる河原の道に国道の逆三角形標識が立っている光景は相当にシュールなものだった。しかし、3年前に下流に立派な橋が架かり、国道渡船は姿を消した。今でも渡船場そばの交差点には堤防側(国道側)に向けて道路標識が立てられ、脇には「旅来渡船記念の碑」が立っている。
渡船ファンにとっては誠に残念な話である。しかし、地元の方々にとっては朗報だろう。渡船は冬には運休になってしまうし、クルマは運べないしで、橋が架かった方が便利に決まっているのだ。
実際、渡船はやじろべえのような微妙なバランスで成り立っている。まず、その目の前の水を越える交通需要がなければならない。渡る人がいなければ渡船はなくなる。しかし、需要が増えれば今度はそこに橋が架けられる。
渡船とは、そんな「どちらに傾いてもなくなっている」ギリギリの状態で維持された“公共交通機関”なのだ。
かつて北海道・十勝地方に旅来渡船があった。ここは日本で唯一の「国道渡船」だったが、一九九二年十一月に五キロ下流に新国道の「十勝河口橋」が完成し、渡船はその役目を終えた。
船ファンにとっては誠に残念な話である。しかし、地元の方々にとっては朗報以外の何物でもない。渡船の運航は夏期の三ヶ月だけだし、車は積めないしで、橋があった方がはるかに便利だからである。
事実、渡し舟ほどやじろべえのような微妙なバランスの上に成り立つ交通機関はないのではないだろうか。まず、目の前の水路を往来する需要がなければならない。渡る人がいなくなれば渡し舟はなくなる。だが、逆に人がふえれば、こんどはそこに橋が架かる。
渡し舟がなくなることは、いわば生活レベルの向上であり、いつまでも走らせていると「政治の怠慢だ」などと言われて非難も浴びせられる。
渡し舟とは、そんなどちらに傾いてもなくなってしまう気の毒な交通機関なのである。
201ページ81行目~42ページ39行目~
●美浦の渡船(北海道美唄市)
美唄市と浦臼町の間に残る渡船。一日3本。昨年の夏に遠征したら前日の大雨で川が大増水。「川止め」を食らってしまった。再挑戦も考えたのだが、さすがに遠い。
北海道には「美浦の渡船」が残る。美唄市と浦臼町の間を結ぶ渡船で、筆者も過去二回乗船を試みたが、前日の雨で川が増水、足止めならぬ川止めを食らってしまった。再訪も考えているが、あまりに遠い。
201ページ10行目~3ページ8行目~
●利根川の渡し船
日本有数の大河だけあって中流から河口にかけていっぱいある。
グライダーの発着場のすぐそばにある赤岩渡船。熊谷の北、埼玉と群馬の県境を渡る船だ。グライダーを眺めつつ、のんびりできる。
「津宮渡船」は
千葉県佐原市にある。駅で言えばJR成田線・香取駅が近い。しかし、ほぼ完全なスクールボートで、登下校の時間しか動かない。
そのすぐ下流にも富田渡船というのがある。こっちは同じ成田線の水郷駅。でも、かなり遠い。
利根川は日本有数の大河だけあって中流から下流にかけて数ヶ所の渡し舟が存在する。
群馬県境町にある「島村の渡し」は町が観光資源としてPRしている渡しで東武伊勢崎線境町駅からタクシーに乗る。
「赤岩渡船」は熊谷の北、埼玉と群馬の県境を渡る。付近にグライダーの発着場があり、グライダーを眺めながらのんびりできる。
取手市の「小堀渡船」は付近が公園として整備されており、休日は家族連れで賑わう。JR常磐線取手駅から徒歩二十分である。
「津宮渡船」はJR成田線香取駅が近い。しかし、完全なスクールボートで、登下校時しか動かない。さらに下流には「富田渡船」がある。こちらは最寄り駅が水郷駅だがかなり遠い。
201ページ46行目~44ページ7行目~
●矢田の渡し(島根県松江市)
おそらく、日本唯一の「河川カーフェリー」。もっとも、軽トラック1台でいっぱいになってしまうような小さな船だ。松江と東松江の間、山陰線の窓からしっかりチェックできる。
「矢田の渡し」は、日本唯一の河川カーフェリーであることは間違いない。といっても車一台積むのがやっと、といった程度の小型の船である。宍道湖と中海のほぼ中間にある。
202ページ37行目~44ページ24行目~
では、「渡船の旅」を始めるにあたっての注意事項を。
1.地図にあるから、あると思うな
国土地理院の地形図だって、測量年度の関係でいまはない渡船が印刷されているなんて例が絶えない。必ず現地の役場に電話して確認しよう。(それにしても、役場の職員が「渡船?知らないなあ」なんて答えることも多いのだが)
2.地図にないから、ないと思うな
先に紹介した第一渡船や美浦の渡しもそうだが、実は岐阜の小紅渡船も国土地理院の地図に記載されていない。こうした渡船を机上で見つけるのは不可能に近い。
ぼくが小紅渡船の存在を知ったのは、書店で偶然手に取ったバイク雑誌だった。こればっかりは、そうした偶然の巡り合いに期待するか、旅先で知り合った人から情報を入手するくらいしか方法はなさそうだ。
3.渡船があるから動いていると思うな
これが大事。

須崎の巡航船を訪問した時は「日曜運休」と知らず、すごすごと引き返すという超なさけない経験もした。公休日の他にも、「村の運動会の都合」とか「船頭さんの都合」とかで運航時間が変わったり運休になったりなんてことはザラ。奄美大島では一日1便の渡船が、何の前触れもなしに2時間も早く出航してしまい激しく途方に暮れたこともある。そもそも、物事がうまく運んでいくことを古来より「渡りに舟」というように、渡し場に船がいる(動いている)ことのほうがラッキーなのだ。
もし運悪く乗れなかったとしても、「それもまた旅の思い出さ」と開き直れる寛容さが渡船の旅には必要になる。
4.写真を撮る時は気をつけよう
郷愁感あふれる渡船は確かに格好の被写体だ。ついシャッターを切ることもあると思うが、船頭さんや地元の利用客にとっては、あくまで日常の一部分。
写真に撮られて不快な気分になる方もいるだろう(実際、尾道で渡船に乗った地元の方を撮ったところ「勝手に写真を撮るな」と30分も説教された友人もいる)。渡船は決して観光資源ではない。行きすぎた行為には十分注意しよう。
では、「渡し舟」の旅を始めるにあたっての注意事項を筆者の体験も含め述べてみよう。
まず、渡し舟の場所をみつける方法について。
渡し舟のありかを探すには、国土地理院が発行する地形図で調べるのが一番手っ取り早い。大阪市の渡船など、大都市のものは民間が発行している地図にも掲載されている。
しかし、地図にあるからあるとは限らない。
国土地理院の地形図でも、測量年度の関係で既に廃止された渡船が印刷され続けているなんていう例が絶えない。
実際、筆者もよくだまされた。現地の役場などに事前に連絡されることを勧める。
そのうえ、地図にないからないとは限らない。
実は、本文で紹介した「美浦の渡し」や「仙石の渡し」は国土地理院の地図に掲載されていない。この手の渡し舟を机上で見つけるのは実質不可能に近い。というわけで、こればかりは、偶然の発見か、旅先の人などからの情報を得るしか方法はなさそうである。

そして現地へ行ってみて、船があるから動いているとは限らない。
これは厄介なことだが、大事なことである。本文で紹介した「津山渡船」に以前、訪問したが休日運休とは知らず、すごすごと引き返すマヌケな経験もした。休日の他にも船頭さんの都合や雨天による増水、強風下でも休航になる。特に東北では、雪解けによる増水で長期にわたって休航になるなんてことはザラ。
そもそも、ものごとがうまく運ぶことを「渡りに船」というように渡船場に船があることのほうが幸運なのだ。運悪く乗れなくても「それもまた旅の思い出サ」と笑って開き直れる寛容さを持とう。
さて渡し舟に乗りに行ったときのことだが、写真撮影は細心の注意をすること。
風情ある渡し舟は格好の被写体である。だが、地元の人にとって渡し舟はあくまで日常の一部分。
観光資源ではない。肖像権の問題もある。行動には十分注意しよう。
202ページ116行目~45ページ43行目~
現在も残る渡し船。しかし、それはあくまで“残っている”のであって、決して“残してある”のではない(稀にはあるが)。やじろべえが傾くように、いつかはなくなっていくものなのである。渡船を巡る時には、その点だけは心の中で押さえていたい。 現在も各地に残る渡し舟。しかし、それはあくまで「残っている」のであって、「残している」のではない。
いずれは消え去っていくだろう。渡し舟の旅のときはその点だけは心の中で押さえておきたい。
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